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1011太田入道殿御返事

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論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠・三論宗の元祖なり呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人・謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間・薪を採り水を汲み講を廃

1012太田入道殿御返事

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は但謗法の一科なり、所持の妙法は月愛に超過す、豈軽瘡を愈して長寿を招かざらんや、此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人・一乗妙経は綺語の典なり・名を惜しみ給わば世尊験を顕し・誓を恐れ給わば諸の賢聖来り護り給えと叫喚したまえと爾か云う書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、恐恐。

1013大田殿女房御返事

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 大田殿女房御返事 建治三年十一月 五十六歳御作  与大田入道女房 於身延  柿のあをうらの小袖わた十両に及んで候か、此の大地の下は二の地獄あり一には熱地獄すみををこし野に火をつけせうまうの火鉄のゆのごとし、罪人のやくる事は大火に紙をなげ大火にかなくづをなぐるがごとし、この地獄へは・やきとりと火を

1014大田殿女房御返事

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女のきんだちきぬにきぬをかさね・いろにいろをかさね給うべし、穴賢穴賢。  建治三年丁丑十一月十八日 日 蓮在御判  太田入道殿女房御返事

1015太田左衛門尉御返事

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厄年の人の危き事は少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ燈の辺に住める夏の虫の火中に入らんとするが如くあやうし、鬼神ややもすれば此の人の神を伺ひなやまさんとす、神内と申す時は諸の神・身に在り万事心に叶う、神外と申す時は諸の神・識の家を出でて万事を見聞するなり、当年は御辺は神外と申して諸神他国へ遊行すれば慎ん

1016太田左衛門尉御返事

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事に非ず過去の宿縁開発せるにこそ・かくは思食すらめ有り難し有り難し、次に寿量品と申すは本門の肝心なり、又此の品は一部の肝心・一代聖教の肝心のみならず三世の諸仏の説法の儀式の大要なり、教主釈尊・寿量品の一念三千の法門を証得し給う事は三世の諸仏と内証等しきが故なり、但し此の法門は釈尊一仏の己証のみに非ず

1017太田左衛門尉御返事

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事の義理の籠らせ給う御経を書きて進らせ候へば弥信を取らせ給うべし、勧発品に云く「当に起つて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」等云云、安楽行品に云く「諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護す乃至天の諸の童子以て給使を為さん」等云云、譬喩品に云く「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」等云云、法華経の持者

1018大田殿女房御返事

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 大田殿女房御返事 弘安元年九月 五十七歳御作  与大田入道女房 於身延  八木一石付十合、者大旱魃の代にかはける物に水をほどこしては大竜王と生れて雨をふらして人天をやしなう、うえたる代に食をほどこせる人は国王と生れて其の国ゆたかなり、過去の世に金色と申す大王ましましき其の国をば波羅奈国と申す、

1019慈覚大師事

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 慈覚大師事 弘安三年正月 五十九歳御作  与大田入道 於身延  鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ、法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候、なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に五尺の身に一尺の面あり其の面の中三寸の眼二つあり、一歳より六十に及んで多くの物を見る

1020慈覚大師事

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五十七の二代は明雲大僧正座主なり、此の座主は安元三年五月日院勘を蒙りて伊豆の国へ配流、山僧・大津にて奪い取りて後治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給う、此の人生けると死ぬと二度大難に値えり、生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱

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日蓮大聖人御書

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