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1021三大秘法禀承事

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 三大秘法禀承事 弘安五年四月 六十一歳御作  与大田金吾  夫れ法華経の第七神力品に云く「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」等云云、釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云、問う所説の要言の法とは何物ぞや、

1022三大秘法禀承事

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 今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳・機尚堪えず況や始めの五百年をや、何に況や正法の機は迹門・尚日浅し増して本門をや、末法に入て爾前迹門は全く出離生死の法にあらず、但専ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり、是を以て思うに諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云、問う仏の滅後正像末の三時に於て本化

1023三大秘法禀承事

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ば益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荆棘

1024曾谷入道殿御書

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 曾谷入道殿御書 文永十一年 五十三歳御作  於身延  自界叛逆難・他方侵逼の難既に合い候い畢んぬ、之を以て思うに「多く他方の怨賊有つて国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合い候いぬと覚え候、当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり、是れ偏に仏法の邪見なるに

1025曾谷入道殿御返事

1,025ページ

 曾谷入道殿御返事  方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は

1026曾谷入道殿許御書

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 曾谷入道殿許御書 文永十二年三月 五十四歳御作  与曾谷入道 太田金吾  夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず、所謂時を論ずれば正像末教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密・国を論ずれば中辺の両国・機を論ずれば已逆と未逆と已謗と未謗と師を論ずれば凡師と聖師と二乗と

1027曾谷入道殿許御書

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乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す然りと雖も下せし所の下種・純熟の故に時至つて自ら繫珠を顕す但四十余年の間過去に已に結縁の者も猶謗の義有る可きの故に且らく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。  問うて曰く華厳の時・別円の大菩薩乃至観経等の諸の凡夫の得道は如何、答えて曰く彼等の衆は時を以て之を論ずれば

1028曾谷入道殿許御書

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の智慧を盗み取り大日経等に摂入して天竺より有るの由之を偽る、然るに震旦一国の王臣等並びに日本国の弘法・慈覚の両大師之を弁えずして信を加う已下の諸学は言うに足らず、但漢土・日本の中に伝教大師一人之を推したまえり、然れども未だ分明ならず所詮・善無畏三蔵・閻魔王の責を蒙りて此の過罪を悔い不空三蔵の還つて天

1029曾谷入道殿許御書

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当つて竜猛菩薩・月氏に出現して釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩埵とに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提婆菩薩の伝うる所の

1030曾谷入道殿許御書

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 像法の末八百年に相当つて伝教大師和国に託生して華厳宗等の六宗の邪義を糾明するのみに非ずしかのみならず南岳・天台も未だ弘めたまわざる円頓戒壇を叡山に建立す、日本一州の学者一人も残らず大師の門弟と為る、但天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知つて而も分明ならず、所詮末法に贈りたもうか此等は傍論為るの故に且

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日蓮大聖人御書

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