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1191聖人御難事

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は不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ、此れはこまごまとかき候事はかくとしどし・月月・日日に申して候へどもなごへの尼せう房・のと房・三位房なんどのやうに候、

1192四条金吾殿御返事

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 四条金吾殿御返事 弘安二年十月 五十八歳御作  先度強敵ととりあひについて御文給いき委く見まいらせ候、さても・さても・敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし、夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もし

1193四条金吾殿御返事

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からず候、恐恐謹言。  十月二十三日 日 蓮花押  四条金吾殿御返事

1194四条金吾殿御返事

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 然るに今山林に世を遁れ道を進まんと思いしに人人の語・様様なりしかども旁存ずる旨ありしに依りて当国・当山に入りて已に七年の春秋を送る、又身の智分をば且らく置きぬ法華経の方人として難を忍び疵を蒙る事は漢土の天台大師にも越え日域の伝教大師にも勝れたり、是は時の然らしむる故なり、我が身法華経の行者ならば霊

1195四条金吾許御文

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 四条金吾許御文 弘安三年十二月 五十九歳御作  与四条金吾女房  白小袖一つ・緜十両・慥に給候い畢んぬ、歳もかたぶき候・又処は山の中・風はげしく庵室はかごの目の如し、うちしく物は草の葉・きたる物は・かみぎぬ身のひゆる事は石の如し、食物は冰の如くに候へば此の御小袖給候て頓て身をあたたまらんと・をも

1196四条金吾許御文

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功皇后ははらの内の王子にかたり給ふ、汝は王子か女子か王子ならばたしかに聞き給へ、我は君の父・仲哀天皇の敵を打たんが為に新羅国へ渡るなり、我が身は女の身なれば汝を大将とたのむべし、君・日本国の主となり給うべきならば今度生れ給はずして軍の間・腹の内にて数万騎の大将となりて父の敵を打たせ給へ、是を用ひ給は

1197四条金吾許御文

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釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ又誕生の日をば薬師になしぬ、八幡大菩薩をば崇るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ、本地垂迹を捨つる上に此の事を申す人をば・かたきとする故に力及ばせ給はずして此の神は天にのぼり給いぬるか、但し月は影を水にうかぶる濁れる水には栖ことなし、木の上・草の葉なれども澄める露

1198四条金吾殿御返事

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 四条金吾殿御返事 弘安五年正月 六十一歳御作  満月のごとくなるもちゐ二十・かんろのごとくなる・せいす一つつ・給候い畢んぬ、春のはじめの御悦びは月のみつるがごとく・しをのさすがごとく・草のかこむが如く・雨のふるが如しと思し食すべし。  抑八日は各各の御父・釈迦仏の生れさせ給い候し日なり、彼の日

1199月水御書

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 月 水 御 書 文永元年四月 四十三歳御作  与大学三郎妻  伝え承はる御消息の状に云く法華経を日ごとに一品づつ二十八日が間に一部をよみまいらせ候しが当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候、ただ・もとの様に一品づつを・よみまいらせ候べきやらんと云云、法華経は一日の所作に一部八巻・二十八品・或は一巻

1200月水御書

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とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。  されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かな

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日蓮大聖人御書

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