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1411妙法比丘尼御返事

1,411ページ

 又真言宗と申す宗は上一人より下万民に至るまで此れを仰ぐ事日月の如し、此れを重んずる事珍宝の如し、此の宗の義に云く大日経には法華経は二重三重の劣なり、釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す此の事は弘法・慈覚・智証の仰せられし故に今四百余年に叡山・東寺・園城・日本国の智人一同の義なり。  又禅宗と申す宗

1412妙法比丘尼御返事

1,412ページ

付けて、日本国の王臣万民を一同に罰せんとたくませ給うを、日蓮かねて経論を以て勘へ候いし程に、此れを有りのままに申さば国主もいかり、万民も用ひざる上、念仏者・禅宗・律僧・真言師等定めて忿りをなして・あだを存じ王臣等に讒奏して我が身に大難おこりて、弟子乃至檀那までも少しも日蓮に心よせなる人あらば科になし

1413妙法比丘尼御返事

1,413ページ

ば、念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に・かなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ、されば極楽寺殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを各御覧あるべし、其の後何程もなくして召し返されて後又経文の如く弥よ申しつよる、又去ぬる

1414妙法比丘尼御返事

1,414ページ

して居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり、彼の蘇武が胡国に・とめられて十九年が間・蓑をき雪を食としてありしが如し。  今又此山に五箇年あり、北は身延山と申して天にはしだて・南は・たかとりと申して鶏足山の如し、西はなないたがれと申して鉄門に似たり・東は天子がたけと申して富士の御山にたい

1415妙法比丘尼御返事

1,415ページ

にまいらせてありしかば、いかに申せども聞も・ほどかせ給はずして・南の国・呉越と申す方へ流されぬ、李如暹歎いて云く進では涼原の本郷を見ることを得ず退ては胡地の妻子に逢ふことを得ず云云、此の心は胡地の妻子をもすて又唐の古き栖をも見ず・あらぬ国に流されたりと歎くなり、我が身には大忠ありしかどもかかる歎きあ

1416妙法比丘尼御返事

1,416ページ

無間地獄をまぬかれず、今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し、此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし・杖木瓦石はありしかども疵をかほり頸までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間・ひまなし疵をかほり流罪・頸に及ぶ、弟子等は或は所領を召され或はろうに入れ或は遠流し或は

1417妙法比丘尼御返事

1,417ページ

てさかぐるひにておはするなり、法華最第一の経文を見ながら大日経は法華経に勝れたり禅宗は最上の法なり律宗こそ貴けれ念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは酒に酔える人にあらずや星を見て月にすぐれたり石を見て金にまされり東を見て西と云い天を地と申す物ぐるひを本として月と金は星と石とには勝れたり東は東天は天

1418妙法比丘尼御返事

1,418ページ

女が御身に入らせ給うか。  さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事・見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく・よろづの人に・なさけあらんと思いし

1419妙法比丘尼御返事

1,419ページ

 妙法尼御前 御かたへ

1420妙法比丘尼御前御返事

1,420ページ

 されば女人は由なき道には名を折り命を捨つれども成仏の道はよはかりけるやと・をぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給いてかかるものをぼえぬ島のえびすにのられ打たれ責られしのび法華経を弘めさせ給う彼の比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん、彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあ

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日蓮大聖人御書

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