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1511上野殿御返事

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 上野殿御返事 建治元年五月 五十四歳御作  与上野次郎時光  さつきの二日にいものかしら・いしのやうにほされて候を一駄、ふじのうへのより・みのぶの山へをくり給いて候。  仏の御弟子にあなりちと申せし人は天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一・迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり、こ

1512上野殿御返事

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れをしさに父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心か、さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給いて候は・いふにかひなきものなれども約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき、もし此の事まことになり候

1513上野殿御書

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 上野殿御書 建治元年八月 五十四歳御作  与南条時光  態と御使い有難く候、夫れについては屋形造の由目出度くこそ候へ、何か参り候いて移徙申し候はばや、一つ棟札の事承り候書き候いて此の伯耆公に進せ候。  此の経文は須達長者・祇園精舎を造りき、然るに何なる因縁にやよりけん須達長者七度まで火災にあひ候

1514単衣抄

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 単 衣 抄 建治元年八月 五十四歳御作  単衣一領送り給い候い畢んぬ。  棄老国には老者をすて・日本国には今法華経の行者をすつ、抑此の国開闢より天神七代・地神五代・人王百代あり、神武より已後九十代欽明より仏法始まりて六十代・七百余年に及べり、其の中に父母を殺す者・朝敵となる者・山賊・海賊・数を知

1515単衣抄

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をば何としてか哀とおぼしけん、未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給候こそ何とも存じがたく候へ、此の帷をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば・御経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は皆金色の仏なり、衣は一つなれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へるなり、されば此の衣を給て候わ

1516神国王御書

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 神国王御書  夫れ以れば日本国を亦水穂の国と云い亦野馬台又秋津島又扶桑等云云、六十六ケ国・二つの島・已上六十八ケ国・東西三千余里・南北は不定なり、此の国に五畿・七道あり・五畿と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等なり、七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七箇国・山陰道八ケ国・山陽道

1517神国王御書

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代には・にるべくもなき変夭なり、第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて・第三十四代推古天皇の御宇に盛にひろまりき、此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡りて候いき、此の三論宗は月氏にても漢土にても、日本にても大乗宗の始なり、故に宗の母とも宗の父とも申す、人王三十六代・皇極天皇の御宇に禅宗わ

1518神国王御書

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ば座主両方を兼ねたり、しかれども法華宗をば月のごとく・真言宗をば日のごとしといいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもへけり、しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給いけり大衆も又かくのごとし。  同じき御宇に円珍和尚と申す人・御入唐・漢土にして法華・真言の両宗をならう、同じき御宇に天安二年に帰朝

1519神国王御書

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を払い・人は病なく長寿を持ち・後生には人天と三乗と仏となり給うべし。  しかるに我が日本国は一閻浮提の内・月氏・漢土にもすぐれ八万の国にも超えたる国ぞかし、其の故は月氏の仏法は西域等に載せられて候但だ七十余国なり其の余は皆外道の国なり、漢土の寺は十万八千四十所なり、我が朝の山寺は十七万一千三十七所な

1520神国王御書

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り・太上入道並びに一門怠状を捧げて云く「彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し日吉の社を以て平氏の氏神と号す」云云、叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆・五壇の大法を行い、大臣以下は家家に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し・諸寺・諸山には奉幣

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日蓮大聖人御書

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