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821御講聞書

821ページ

り、火と云うは煩悩の火なり、此の火と宅とをば属于一人とて釈迦一仏の御利益なり、弥陀・薬師・大日等の諸仏の救護に非ず、教主釈尊一仏の御化導なり、唯我一人・能為救護とは是なり、此の属于一人の文を重ねて、五巻提婆品に説いて云く観三千大千世界乃至無有如芥子許非是菩薩捨身命処為衆生故文、妙楽大師此の属于一人の

822御講聞書

822ページ

の位に至るを直至道場とは云うなり、直至と云う文の意は、四十二位を爰にて極めたり、此の直の一字は、地獄即寂光・餓鬼即寂光土なり、法華経の行者の住処、山谷曠野なりとも、直至道場なり、道場とは究竟の寂光なり、仍つて乗此宝乗の上の乗は法華の行者、此の品の意にては中根の四大声聞なり、惣じて一切衆生の事なり、今

823御講聞書

823ページ

ならず、譬えば諸河の水・大海に入りぬれば鹹の味となる、入らざれば本の水なり、法界の善根も、法華経へ帰入せざれば善根とはならざるなり、されば釈に云く、断一切仏種とは浄名には煩悩を以て如来の種と為す、此れ境界性を取るなり、此の釈の心は浄名経の心ならば我等衆生の一日一夜に作す所の罪業・八億四千の念慮を起す

824御講聞書

824ページ

詮実相の知識とは所謂南無妙法蓮華経是なり、知識とは形をしり、心をしるを云うなり、是れ即ち色心の二法なり、謗法の色心を捨てて法華経の妙境・妙智の色心を顕すべきなり、悪友は謗法の人人なり、善友は日蓮等の類いなり。 一無上宝聚不求自得の事 仰に云く、此の無上宝聚に於て一には釈尊の因行・果徳の万行・万善の骨

825御講聞書

825ページ

云云。 一現世安穏後生善処の事 仰に云く所詮此の妙法蓮華経を聴聞し奉るを現世安穏とも後生善処とも云えり、既に上に聞是法已と説けり聞は名字即の凡夫なり妙法を聞き奉る所にて即身成仏と聞くなり、若有能持即持仏身とは是なり、聞く故に持ち奉る持ち奉る故に三類の強敵来る来るを以て現世安穏の記文顕れたり、法華の行

826御講聞書

826ページ

地をば無住之本と判ぜり、然るに凡有所説は約教を指し・皆令衆生は機縁を納るるなり、十界の衆生を指して切と云い凡有所説を指して、究竟非二故名一也と云えり、一とは三千大千世界・十方法界を云うなり、其の上に人畜等あるは地なり、記の七に云く、切を衆に訓ずと文、仍つて一切の二字に法界を尽せり、諸法は切なり実相は

827御講聞書

827ページ

一根茎枝葉の事 仰に云く此の文をば釈には信戒定慧と云云、此の釈の心は草木は此の根茎枝葉を以て増長と云うなり、仏法修行するも又斯くの如し、所詮我等衆生・法華経を信じ奉るは根をつけたるが如し、法華経の文の如く是名持戒の戒体を本として、正直捨方便・但説無上道の如くなるは戒なり、法華経の文相にまかせて、法華

828御講聞書

828ページ

して、隠顕更に無きなり、所詮、等の字はひとしくとよむ時は、釈迦如来の平等の慈悲なり、さて、ひとしきとよむ時は、平等大慧の妙法蓮華経なり、ひとしく法の雨をふらすとは、能弘につけたり、ひとしき法の雨ふりたりと読む時は、所弘の法なり、所詮法と云うは、十界の諸法なり、雨とは十界の言語・音声の振舞なり、ふると

829御講聞書

829ページ

来りて大王のそなえに値うが如くの歓喜なりと云えり、然らば此の文の如くならば法華已前の人は餓鬼界の衆生なり、既に飢国来と説けり、大王饍とは醍醐味なり、中根の声聞・法華に来つて一乗醍醐の法味を得て忽に法王の位に備りたり、忽の字は爾前の迂廻道の機に対して忽と云うなり、速疾頓成の義を忽と云うなり、仮令外用の

830御講聞書

830ページ

されば釈にも出世以前と判ぜり、此は大通仏出世し給えども十小劫の間・一経も説給わずと云う経文なり、仍て仏法も現前せざる故に不得成仏と云えり、されども釈を見るに出世以前と云う時は、此の経文は何なる事ぞ此は本法の重を説かれたり、一仏出世すれば流転門となる、一仏も出世無き時は、本法不思議の体なり、迷悟もなく

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日蓮大聖人御書

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