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901華果成就御書

901ページ

を度す」云云、前前申す如く御心得あるべく候、穴賢穴賢。  弘安元年戊寅卯月 日 日 蓮 花押  浄顕房  義浄房

902別当御房御返事

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聖智が跡の主となるをもつてしろしめせ、日本国の山寺の主ともなるべし、日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり・天のあたへ給うべきことわりなるべし。  米一斗六升・あはの米二升・やき米はふくろへ・それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候、これは・いたみをもひ候、これより後は心ぐるしく・をぼしめすべからず

903寂日房御書

903ページ

覚え候、一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこそ天台大師・五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり。  日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん、経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心

904新尼御前御返事

904ページ

 新尼御前御返事 文永十二年二月 五十四歳御作  あまのり一ふくろ送り給び畢んぬ、又大尼御前よりあまのり畏こまり入つて候、此の所をば身延の嶽と申す駿河の国は南にあたりたり彼の国の浮島がはらの海ぎはより此の甲斐の国・波木井の郷・身延の嶺へは百余里に及ぶ、余の道・千里よりもわづらはし、富士河と申す日

905新尼御前御返事

905ページ

此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候いし・あまたの三蔵・漢土より月氏へ入り候いし人人の中にもしるしをかせ給はず、西域慈恩伝・伝燈録等の書どもを開き見候へば五天竺の諸国の寺寺の本尊・皆しるし尽して渡す、又漢土より日本に渡る聖人日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候、寺寺の御本尊皆かんがへ尽し・日本国最初の

906新尼御前御返事

906ページ

法の法師一閻浮提に充満して諸天いかりをなし彗星は一天にわたらせ大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人・各各・甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕るこ

907新尼御前御返事

907ページ

蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために此の御本尊をわたし奉るならば十羅刹定めて偏頗の法師と・をぼしめされなん、又経文のごとく不信の人に・わたしまいらせずば日蓮・偏頗は・なけれども尼御前我が身のとがをば・しらせ給はずして・うらみさせ給はんずらん、此の由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ召して尼御前の

908大尼御前御返事

908ページ

 大尼御前御返事  ごくそつえんま王の長は十丁ばかり・面はすをさし・眼は日月のごとく・歯はまんぐわの子のやうに・くぶしは大石のごとく・大地は舟を海にうかべたるやうに・うごき・声はらいのごとく・はたはたと・なりわたらむにはよも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ、日蓮が弟子にてはをはせず・よくよく内をし

909種種御振舞御書

909ページ

 種種御振舞御書 建治二年 五十五歳御作  与光日房 於身延  去ぬる文永五年後の正月十八日・西戎・大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす、日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこ

910種種御振舞御書

910ページ

なし・ますますにくみて御評定に僉議あり、頸をはぬべきか鎌倉ををわるべきか弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸を切れ或はろうにてせめ・あるいは遠流すべし等云云。  日蓮悦んで云く本より存知の旨なり、雪山童子は半偈のために身をなげ常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂を

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日蓮大聖人御書

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