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151曾谷殿御返事

1,056ページ

べし世間・仏法の道理によるべきなり、末世の僧等は仏法の道理をば・しらずして我慢に著して師をいやしみ檀那をへつらふなり、但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ、文句の一に云く「既に未だ真を発さざれば第一義天に慙じ諸の聖人に愧ず即是れ有羞の僧なり観慧若し発するは即真実の僧なり」云云、涅槃経に

152曾谷殿御返事

1,063ページ

法華第三・法華経は戯論の法・無明の辺域・天台宗等は盗人なりなんど申す書どもをつくりて、嵯峨の皇帝を申しかすめたてまつりて七宗に真言宗を申しくはえて七宗を方便とし真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。  其の後・日本一州の人ごとに真言宗になりし上・其の後又伝教大師の御弟子・慈覚と申す人・漢土にわたりて天台

153曾谷二郎入道殿御返事

1,068ページ

より転じて他方に生れて大地獄に在りて無数百千万億那由佗歳・大苦悩を受けん、彼は小乗経を以て権大乗を破せしも罪を受くること是くの如し、況や今三大師は未顕真実の経を以て三世の仏陀の本懐の説を破するのみに非ず剰さえ一切衆生成仏の道を失う深重の罪は過・現・未来の諸仏も争か之を窮むべけんや争か之を救う可けんや

154兄弟抄

1,085ページ

・いでさせ給いき、一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為・真実報恩者等云云、言は・まことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるが・まことの恩をほうずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどを

155兵衛志殿御書

1,095ページ

を・になへるが如く二の羽のとぶが如く日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい偏に貴辺の御身にあり、又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちに・みだれば大聖人世に出ずべしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代

156四条金吾殿御返事

1,121ページ

間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも・すぎたりと見えたり。  教主釈尊は一代の教主・一切衆生の導師なり、八万法蔵は皆金言・十二部経は皆真実なり、無量億劫より以来持ち給いし不妄語戒の所詮は一切経是なり、いづれも疑うべきにあらず、但是は総相なり別してたづぬれば如来の金口より出来して小乗・

157頼基陳状

1,154ページ

相対すれば門の異なるのみならず其の理は戯論の法・無明の辺域なり、又法華宗の天台大師等は諍盗醍醐等云云、法相宗の元祖慈恩大師云く「法華経は方便・深密経は真実・無性有情・永不成仏」云云、華厳宗の澄観云く「華厳経は本教・法華経は末教・或は華厳は頓頓・法華は漸頓」等云云、三論宗の嘉祥大師の云く「諸大乗経の中

158四条金吾殿御返事

1,170ページ

条金吾殿御返事 日 蓮

159月水御書

1,200ページ

論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・

160日妙聖人御書

1,217ページ

えたり・一切まがられる・ゆへなり、而るに法華経は・正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔輭等・柔和質直者等と申して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし、妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、一切経は皆仏の金口の説

161弥源太入道殿御返事

1,228ページ

大師は法華経最第三と・慈覚・智証は法華経最第二・或は戯論なんどこそ読み候いしか今又是くの如し。  但し日蓮が眼には僻目にてや候らん、法華経最第一・皆是真実と釈迦仏・多宝仏十方の諸仏は説いて証明せさせ給へり・此の三大師には水火の相違にて候、其の末を受くる人人・彼の跡を継で彼の所領の田畠を我が物とせさせ

162善無畏抄

1,236ページ

叶う可からずと書かれて候、縦令千万の経経に女人成る可しと許され為りと雖も法華経に嫌われなば何の憑か有る可きや。  教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し涅槃経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め置き、三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但無上道を説く世尊の法は久しくして後要当に

163妙一女御返事

1,258ページ

後にたづね・あきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか、伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に・第八に即身成仏化導勝とかかれて次下に「当に知るべし此の文成仏する所の人を問

164法門申さるべき様の事

1,265ページ

・大師・先徳には末代の人の智慧こへがたければ彼の人人の料簡を用ゆべきかのところに、華厳宗の五教四教・法相三論の三時二蔵・或は三転法輪・世尊法久後要当説真実の文は又法華経より出て候・金口の明説なり、仏説すでに大に分れて二途なり、譬へば世間の父母の譲の前判後判のごとし、はた又世間の前判後判は如来の金言を

165法門申さるべき様の事

1,266ページ

はからいぜひにつけてをそれあるべし、仏と申す親父の仰を仰ぐべしと・まつところに仏定めて云く「正直捨方便」等云云、方便と申すは無量義経に未顕真実と申す上に以方便力と申す方便なり、以方便力の方便の内に浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏るべからざるか、されば四十余年の経経をすてて法華経に入らざら

166十章抄

1,274ページ

を許されず何に況や爾前に分たへたる事なり、一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る・爾前は迹門の依義判文・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし、されば円の行まちまちなり沙をかずへ大海をみるなを円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。  

167教行証御書

1,277ページ

法華経第六分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持てる者」と安楽行品に云く末法の中に於て是の経を説かんと欲す等云云此等は皆末法万年と云う経文なり、彼れ彼れの経経の説は四十余年未顕真実なり或は結集者の意に拠るか依用し難し、拙いかな諸宗の学者法華経の下種を忘れ三五塵点の昔を知らず純円の妙経を捨てて亦

168教行証御書

1,278ページ

の弘経に於ても亦復是くの如く正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云、又彼が何度も爾前の得道を云はば無量義経に四十余年の経経を仏・我れと未顕真実と説き給へば・我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ・人師の言語は無用なり、涅槃経には依法不依人と説かれて大に制せられて候へばな

169教行証御書

1,279ページ

是くの如く権経より実経を謗ずるの過罪、法華経の譬喩品の如くば阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん、彼の宗の僻謬を本として此の三世諸仏の皆是真実の証文を捨つる其の罪実と諸人に評判せさすべし、心有らん人誰か実否を決せざらんや、而して後に彼の宗の人師を強に破すべし、一経の株を見て万経の勝劣を知

170法衣書

1,296ページ

にあらざれば女人成仏は許されざるか、具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼のことなり、此れ等もつてをしはかり候に女人の成仏は法華経により候べきか、要当説真実は教主釈尊の金言・皆是真実は多宝仏の証明・舌相至梵天は諸仏の誓状なり、日月は地に落つべしや須弥山はくづるべしや・大海の潮は増減せざるべしや大地は飜

171根露枝枯御書

1,299ページ

源乾けば流竭く自然の道理なり、念仏宗・禅宗と真言とは其の根本謬悞を本とし誑惑を源とせり、其の根源顕れなば設い日蓮はいやしくとも天のはからひ大法流布の時来るならば・彼の悪法やぶれて此の真実の法立つ事疑なかるべし。  すでに此の悪法消えんとするは汝知るやいなや、日蓮をいやしみて・さんざんとするほどにく。

172千日尼御前御返事

1,310ページ

の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るが・ごとし、日出でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品

173千日尼御返事

1,319ページ

も舎利弗が正見も同じく授記をかをほれり、此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし、四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反・大善根を・とかれしかども未顕真実ときらわれしかば・七日ゆをわかして大海になげたるがごとし、ゐ提希が観経をよみて無生忍を得しかども正直捨方便とすてられしかば・法華経を信ぜずば返つて

174最蓮房御返事

1,341ページ

・或は法華最第一の経文をば法華最第二・第三等と読む、故に此等の法師原を邪悪の師と申し候なり。  さて正善の師と申すは釈尊の金言の如く・諸経は方便法華は真実と正直に読むを申す可く候なり、華厳の七十七の入法界品之を見る可し云云、法華経に云く「善知識は是れ大因縁なり所謂化導して仏を見たてまつり阿耨菩提を発

175祈祷抄

1,355ページ

れぞや、弘法大師の筆をや信ずべき、涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき、若し天台大師盗人ならば涅槃経の文をば云何がこころうべき、さては涅槃経の文・真実にして弘法の筆・邪義ならば邪義の教を信ぜん人人は云何、只弘法大師の筆と仏の説法と勘へ合せて正義を信じ侍るべしと申す計りなり。  疑て云く大日経は大

176十八円満抄

1,367ページ

れ豈時国相応の仏法に非ずや、末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に堕ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱

177六郎恒長御消息

1,368ページ

人に非ずや、其の弟子其の檀那等も亦以て此くの如し、法華経の文には若し人信ぜずして、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らんと云云、阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや、一切の経の性相に定めて云く師堕つれば弟子堕つ弟子堕つれば檀那堕つと云云、譬えば謀叛の者の郎従等の如し

178六郎恒長御消息

1,369ページ

に云く「世尊の法は久しくして後要当に真実を説くべし」とは念仏等の不真実に対し南無妙法蓮華経を真実と申す文なり、次下に云く「仏は自ら大乗に住したまへり乃至若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕す此の事は為て不可なり」云云、此の文の意は法華経を仏胸に秘しをさめて観経念仏等の四十余年の経

179波木井三郎殿御返事

1,370ページ

の経文の如く仏・仏眼を以て末法の始を照見したまい当世に当つて此等の人人無くんば世尊の謬乱なり、此の本迹二門と雙林の常住と誰人か之を信用せん今日蓮仏語の真実を顕さんが為日本に配当して此の経を読誦するに或有阿蘭若住於空処等と云うは、建長寺・寿福寺・極楽寺・建仁寺・東福寺等の日本国の禅・律・念仏等の寺寺な

180妙法尼御前御返事

1,405ページ

経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、一代の聖教いづれもいづれもをろかなる事は候はず、皆我等が親父・大聖教主釈尊の金言なり皆真実なり皆実語なり、其の中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大乗・実大乗あいわかれて候、仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経経にたいし候へば・此等

181妙法比丘尼御返事

1,411ページ

迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す此の事は弘法・慈覚・智証の仰せられし故に今四百余年に叡山・東寺・園城・日本国の智人一同の義なり。  又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝なり法華経等の経経は教内なり、譬えば月をさす指・渡りの後の船・彼岸に到りて・なにかせん月を見ては指は用事ならず等云云、彼の人人謗法

182浄蓮房御書

1,434ページ

の重く逆臣の罪のむくゐなり、上の六人も又かくのごとし、釈迦如来世に出でさせ給いて一代の聖教を説きをかせ給う、五十年の説法を我と集めて浅深・勝劣・虚妄・真実を定めて四十余年は未だ真実を顕さず已今当第一等と説かせ給いしかば・多宝・十方の仏真実なりと加判せさせ給いて定めをかれて候を・彼の六人は未顕真実の観

183南条兵衛七郎殿御書

1,493ページ

説教は皆正法・像法・末法の一切衆生をすくはんがためにこそとかれはべりけんめ、しかれども仏いかんがおぼしけん・無量義経に「方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれて・先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとく・くひかへされて「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずるこ

184薬王品得意抄

1,500ページ

大身の衆生なり、諸経の小河大河の中には摩竭大魚之無し法華経の大海には之有り、五逆の者仏道を成ず是れ実には諸経に之無し諸経に之有りと云うと雖も実には未顕真実なり、故に一代聖教を諳し天台智者大師の釈に云く他経は但菩薩に記して二乗に記せず乃至但善に記して悪に記せず、今経は皆記す等云云、余は且く之を略す。

185薬王品得意抄

1,503ページ

ぬる事又不思議に候、彼の経の妄語か此の経の妄語かいかにも一方は妄語たるべきか、若し又一方妄語ならば一仏に二言あり信じ難し但し無量義経の四十余年には未だ真実を顕さず涅槃経の如来には虚妄の言無しと雖も若し衆生虚妄の説に因ると知しめすの文を以て之を思えば仏は女人は往生成仏すべからずと説かせ給いけるは妄語と

186神国王御書

1,522ページ

風のさき・小舟を大波のやぶらむが・ごとしと見へて候。  無量義経は始め寂滅道場より終り般若経にいたるまでの一切経を・或は名を挙げ或は年紀を限りて・未顕真実と定めぬ、涅槃経と申すは仏最後の御物語に初め初成道より五十年の諸教の御物語・四十余年をば無量義経のごとく邪見の経と定め・法華経をば我が主君と号し給

187上野殿御消息

1,528ページ

り、方等・般若・四十余年の経経に皆女人をきらはれたり、但天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども・但名のみ有つて実なきなり、其の上未顕真実の経なれば如何が有りけん、四十余年の経経に皆女人を嫌われたり、又最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌はれたり、何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば法

188南条殿御返事

1,529ページ

てへ入らせ給いき・不妄語戒を持たせ給いしゆへなり、かり王とおはせし時は実語少人大妄語入地獄とこそ・おほせありしか、いわうや法華経と申すは仏・我と要当説真実となのらせ給いし上・多宝仏・十方の諸仏あつまらせ給いて日月・衆星のならばせ給うがごとくに候いしざせきなり、法華経にそら事あるならば・なに事をか人信

189上野殿御返事

1,545ページ

終に南無阿弥陀仏と申しあはせて候人は・仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存じ候へ、しかれども・いかなる事にてや候いけん、仏のくひかへさせ給いて未顕真実・正直捨方便と・とかせ給いて候が・あさましく候ぞ、此れを日蓮が申し候へばそら事うわのそらなりと日本国にはいかられ候、此れのみならず仏の小乗経には十

190上野殿御返事

1,556ページ

字の中の肝要なり、菩提心論の唯真言法中の唯の字と・今の唯の字と・いづれを本とすべきや、彼の唯の字はをそらくはあやまりなり、無量義経に云く「四十余年未だ真実を顕さず」、法華経に云く「世尊の法は久くして後に要当に真実を説きたもうべし」、多宝仏は皆是真実とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり、爾前

191上野殿母御前御返事

1,569ページ

故なり。  此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時・将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く「四十余年には未だ真実を顕さず」等云云、此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ・又太刀を以て切りすつるが如し、華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等

192上野尼御前御返事

1,580ページ

衛門入道殿の忌日と云云、子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云、釈迦仏の金口の説に云く「世尊の法は久しくして後要らず当に真実を説きたもうべし」と、多宝の証明に云く、妙法蓮華経は皆是れ真実なりと・十方の諸仏の誓に云く舌相梵天に至る云云、これよりひつじさるの方に大海をわたり

193法華証明抄

1,586ページ

いや・せんずらんとて、此より東方にはるかの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏わざわざと行幸ならせ給いて釈迦仏にをり向いまいらせて妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき、此の上はなにの不審か残るべき・なれども・なをなを末代の凡夫は・をぼつかなしと・をぼしめしや有りけん、十方の諸仏を召しあつめ

194衆生身心御書

1,592ページ

人あり・月支に入りて十七年・五天の仏法を習いきわめて貞観十九年に漢土へわたりしが・深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす、玄奘云く「月支に宗宗多しといへども此の宗第一なり」大宗皇帝は又漢土第一の賢王なり・玄奘を師とす、此の宗の所詮に云く「或は三乗方便・一乗真実」或は一乗方便・三乗真実・又云く「五性は

195五人所破抄

1,611ページ

迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所・解釈炳焉たる者なり。  凡そ一代教籍の濫觴は法華の中道を説かんが為三国伝持の流布は盍ぞ真実の本門を先とせざらんや、若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て燭影を捧げて日光を哢せば只風俗の迷妄に趁いて世尊の化導を謗ずるに似るか、華の中に優曇有り木の中に

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日蓮大聖人御書

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