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妙一女御返事
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 東寺の真言師日蓮を悪口して云く汝は凡夫なり弘法大師は三地の菩薩なり、汝未だ生身得忍に非ず弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず、汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云是一、慈覚大師は伝教・義真の御弟子・智証大師は義真・慈覚の御弟子・安然和尚は安慧和尚の御弟子なり、此の三人の云く法華天台宗は理秘密の即身成仏・真言宗は事理倶密の即身成仏と云云、伝教弘法の両大師何れも・をろかならねども聖人は偏頗なきゆへに・慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むといへども其の義は弘法東寺の心なり、随つて日本国・四百余年は異義なし汝不肖の身として・いかんが此の悪義を存ずるや是二、答えて云く悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此の義申すまじ、正義を聞かんと申さば申すべし、但し汝等がやうなる者は物をいはずば・つまりぬとをもうべし、いうべし悪心を・をこさんよりも悪口を・なさんよりも・きらきらとして候経文を出して・汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ、悪口・悪心をもて・をもうに経文には即身成仏無きか、但し慈覚・智証・安然等の事は此れ又覚証の両大師・日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時・元政・法全等の義を信じて心には教大師の義をすて・身は其の山に住すれども・いつわりてありしなり。
 問うて云く汝が此の義は・いかにして・をもひいだしけるぞや、答えて云く伝教大師の釈に云く「当に知るべし此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と・かかれて候は、上の提婆品の我於海中の経文を・かきのせてあそばして候、釈の心は・いかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずと・かかせ給へり、いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏は・あるまじき道理あり、大日経・金剛頂経等の真言経には其の人なし・又経文を見るに兼・但・対・帯の旨分明なり、二乗成仏なし久遠実成あとをけづる、慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされて・をはするか、此の人人は賢人・聖人とは・をもへども遠きを貴んで近きをあなづる人なり、彼の三部経に印と真言とあるに・ばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時・叡山の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
妙一女御返事 59   身延

日蓮大聖人御書

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妙一女御返事 1,257ページ

 東寺の真言師日蓮を悪口して云く汝は凡夫なり弘法大師は三地の菩薩なり、汝未だ生身得忍に非ず弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず、汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云是一、慈覚大師は伝教・義真の御弟子・智証大師は義真・慈覚の御弟子・安然和尚は安慧和尚の御弟子なり、此の三人の云く法華天台宗は理秘密の即身成仏・真言宗は事理倶密の即身成仏と云云、伝教弘法の両大師何れも・をろかならねども聖人は偏頗なきゆへに・慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むといへども其の義は弘法東寺の心なり、随つて日本国・四百余年は異義なし汝不肖の身として・いかんが此の悪義を存ずるや是二、答えて云く悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此の義申すまじ、正義を聞かんと申さば申すべし、但し汝等がやうなる者は物をいはずば・つまりぬとをもうべし、いうべし悪心を・をこさんよりも悪口を・なさんよりも・きらきらとして候経文を出して・汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ、悪口・悪心をもて・をもうに経文には即身成仏無きか、但し慈覚・智証・安然等の事は此れ又覚証の両大師・日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時・元政・法全等の義を信じて心には教大師の義をすて・身は其の山に住すれども・いつわりてありしなり。
 問うて云く汝が此の義は・いかにして・をもひいだしけるぞや、答えて云く伝教大師の釈に云く「当に知るべし此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と・かかれて候は、上の提婆品の我於海中の経文を・かきのせてあそばして候、釈の心は・いかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずと・かかせ給へり、いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏は・あるまじき道理あり、大日経・金剛頂経等の真言経には其の人なし・又経文を見るに兼・但・対・帯の旨分明なり、二乗成仏なし久遠実成あとをけづる、慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされて・をはするか、此の人人は賢人・聖人とは・をもへども遠きを貴んで近きをあなづる人なり、彼の三部経に印と真言とあるに・ばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時・叡山の


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