御書本文

太田入道殿御返事
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論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠・三論宗の元祖なり呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人・謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間・薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず、大師の滅後隋帝に往詣し雙足を挍摂し涙を流して別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱す業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す、夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言・已今当の明珠諸経の頂に居す、経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の云く「仏立宗」云云。
 予随分・大・金・地等の諸の真言の経を勘えたるに敢えて此の文の会通の明文無し但畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり是に知んぬ釈尊・大日の本意は限つて法華の最上に在るなり、而るに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時・畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了んぬ、法華・真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の螢火を顕し剰え法華経を罵詈して曰く戯論なり無明の辺域なり、自害の謬悞に曰く大日経は戯論なり無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか、之に依つて日本久しく闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。
 抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も将た又檀那の所従なり身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月重なる設い大山は頽れ設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか、然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか、彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり、仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち兼ては又千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり、此の禅門の悪瘡

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
太田入道殿御返事 54   身延

日蓮大聖人御書

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論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり、嘉祥寺の吉蔵大師は漢土第一の名匠・三論宗の元祖なり呉会に独歩し慢幢最も高し天台大師に対して已今当の文を諍い立処に邪執を飜破し謗人・謗法の重罪を滅せんが為に百余人の高徳を相語らい智者大師を屈請して身を肉橋と為し頭に両足を承く、七年の間・薪を採り水を汲み講を廃し衆を散じ慢幢を倒さんが為法華経を誦せず、大師の滅後隋帝に往詣し雙足を挍摂し涙を流して別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱す業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す、夫れ以みれば一乗の妙経は三聖の金言・已今当の明珠諸経の頂に居す、経に云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」又云く「法華最第一なり」伝教大師の云く「仏立宗」云云。
 予随分・大・金・地等の諸の真言の経を勘えたるに敢えて此の文の会通の明文無し但畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり是に知んぬ釈尊・大日の本意は限つて法華の最上に在るなり、而るに本朝真言の元祖たる法・覚・証等の三大師入唐の時・畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了んぬ、法華・真言弘通の時三説超過の一乗の明月を隠して真言両界の螢火を顕し剰え法華経を罵詈して曰く戯論なり無明の辺域なり、自害の謬悞に曰く大日経は戯論なり無明の辺域なり本師既に曲れり末葉豈直ならんや源濁れば流清からず等是れ之を謂うか、之に依つて日本久しく闇夜と為り扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。
 抑貴辺は嫡嫡の末流の一分に非ずと雖も将た又檀那の所従なり身は邪家に処して年久しく心は邪師に染みて月重なる設い大山は頽れ設い大海は乾くとも此の罪は消え難きか、然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか、彼の闍王の身瘡は五逆誹法の二罪の招く所なり、仏月愛三昧に入つて其の身を照したまえば悪瘡忽に消え三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち兼ては又千人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり、此の禅門の悪瘡


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