御書本文

頼基陳状
1,155ページ

 竜上人答て云く上古の賢哲達をばいかでか疑い奉るべき、竜象等が如くなる凡僧等は仰いで信じ奉り候と答え給しを、をし返して此の仰せこそ智者の仰せとも覚えず候へ、誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑い候べき、但し涅槃経に仏最後の御遺言として「法に依つて人に依らざれ」と見えて候、人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候、御辺はよもあやまりましまさじと申され候、御房の私の語と仏の金言と比には三位は如来の金言に付きまいらせむと思い候なりと申されしを。
 象上人は人師にあやまり多しと候は・いづれの人師に候ぞと問はれしかば、上に申しつる所の弘法大師・法然上人等の義に候はずやと答え給い候しかば・象上人は嗚呼叶い候まじ我が朝の人師の事は忝くも問答仕るまじく候、満座の聴衆皆皆其の流にて御座す鬱憤も出来せば定めてみだりがはしき事候なむ恐れあり恐れありと申されし処に、三位房の云く人師のあやまり誰ぞと候へば経論に背く人師達をいだし候し憚あり・かなふまじと仰せ候にこそ進退きはまりて覚え候へ、法門と申すは人を憚り世を恐れて仏の説き給うが如く経文の実義を申さざらんは愚者の至極なり、智者上人とは覚え給はず悪法世に弘まりて人悪道に堕ち国土滅すべしと見へ候はむに法師の身として争かいさめず候べき、然れば則ち法華経には「我身命を愛まず」涅槃経には「寧ろ身命を喪うとも」等云云、実の聖人にてをはせば何が身命を惜みて世にも人にも恐れ給うべき、外典の中にも竜蓬と云いし者、比干と申せし賢人は頸をはねられ胸をさかれしかども夏の桀・殷の紂をば・いさめてこそ賢人の名をば流し候しか、内典には不軽菩薩は杖木をかほり師子尊者は頭をはねられ竺の道生は蘇山にながされ法道三蔵は面に火印を・さされて江南に・はなたれしかども正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと難ぜられ候しかば。
 竜上人の云くさる人は末代にはありがたし我我は世をはばかり人を恐るる者にて候、さやうに仰せらるる人とても・ことばの如くには・よもをはしまし候はじと候しかば。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
頼基陳状 56   身延

日蓮大聖人御書

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頼基陳状 1,155ページ

 竜上人答て云く上古の賢哲達をばいかでか疑い奉るべき、竜象等が如くなる凡僧等は仰いで信じ奉り候と答え給しを、をし返して此の仰せこそ智者の仰せとも覚えず候へ、誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑い候べき、但し涅槃経に仏最後の御遺言として「法に依つて人に依らざれ」と見えて候、人師にあやまりあらば経に依れと仏は説かれて候、御辺はよもあやまりましまさじと申され候、御房の私の語と仏の金言と比には三位は如来の金言に付きまいらせむと思い候なりと申されしを。
 象上人は人師にあやまり多しと候は・いづれの人師に候ぞと問はれしかば、上に申しつる所の弘法大師・法然上人等の義に候はずやと答え給い候しかば・象上人は嗚呼叶い候まじ我が朝の人師の事は忝くも問答仕るまじく候、満座の聴衆皆皆其の流にて御座す鬱憤も出来せば定めてみだりがはしき事候なむ恐れあり恐れありと申されし処に、三位房の云く人師のあやまり誰ぞと候へば経論に背く人師達をいだし候し憚あり・かなふまじと仰せ候にこそ進退きはまりて覚え候へ、法門と申すは人を憚り世を恐れて仏の説き給うが如く経文の実義を申さざらんは愚者の至極なり、智者上人とは覚え給はず悪法世に弘まりて人悪道に堕ち国土滅すべしと見へ候はむに法師の身として争かいさめず候べき、然れば則ち法華経には「我身命を愛まず」涅槃経には「寧ろ身命を喪うとも」等云云、実の聖人にてをはせば何が身命を惜みて世にも人にも恐れ給うべき、外典の中にも竜蓬と云いし者、比干と申せし賢人は頸をはねられ胸をさかれしかども夏の桀・殷の紂をば・いさめてこそ賢人の名をば流し候しか、内典には不軽菩薩は杖木をかほり師子尊者は頭をはねられ竺の道生は蘇山にながされ法道三蔵は面に火印を・さされて江南に・はなたれしかども正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと難ぜられ候しかば。
 竜上人の云くさる人は末代にはありがたし我我は世をはばかり人を恐るる者にて候、さやうに仰せらるる人とても・ことばの如くには・よもをはしまし候はじと候しかば。


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