御書本文

題目弥陀名号勝劣事
116ページ

と物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時・習いそこなひの天台宗・真言宗に教へられて此の義を存じて数十年の間ありしなり、是れ存外の僻案なり但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、彼は観心の釈か或は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思いて人を僻人に思うなり、御〓迹あるべきなり、念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、其の上多くの真言宗・天台宗の人人に値い奉りて候し時・此の事を申しければされば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し、敢て証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず是こそ謗法となる根本にて侍れ、あなかしこ・あなかしこ。
 日 蓮 花押

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
題目弥陀名号勝劣事 43   鎌倉

日蓮大聖人御書

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題目弥陀名号勝劣事 116ページ

と物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時・習いそこなひの天台宗・真言宗に教へられて此の義を存じて数十年の間ありしなり、是れ存外の僻案なり但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、彼は観心の釈か或は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思いて人を僻人に思うなり、御〓迹あるべきなり、念仏と法華経と一つならば仏の念仏説かせ給いし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ、彼をば本懐ともをぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは念仏と一体ならざる事明白なり、其の上多くの真言宗・天台宗の人人に値い奉りて候し時・此の事を申しければされば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し、敢て証文に経文を書いて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず是こそ謗法となる根本にて侍れ、あなかしこ・あなかしこ。
 日 蓮 花押


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