御書本文
随つて頼基は父子二代・命を君に・まいらせたる事顕然なり・故親父中務某故君の御勘気かふらせ給いける時・数百人の御内の臣等・心がはりし候けるに中務一人・最後の御供奉して伊豆の国まで参りて候き、頼基は去る文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節・伊豆の国に候しかば十日の申の時に承りて唯一人・筥根山を一時に馳せ越えて御前に自害すべき八人の内に候き、自然に世しづまり候しかば今に君も安穏にこそわたらせ給い候へ、爾来・大事小事に付けて御心やすき者にこそ思い含まれて候・頼基が今更・何につけて疎縁に思いまいらせ候べき、後生までも随従しまいらせて頼基・成仏し候はば君をも・すくひまいらせ君成仏しましまさば頼基も・たすけられ・まいらせむと・こそ存じ候へ。
其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何れか成仏の法と・うかがひ候処に日蓮聖人の御房は三界の主・一切衆生の父母・釈迦如来の御使・上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説かれて・ましましけるを信じまいらせたるに候、今こそ真言宗と申す悪法・日本国に渡りて四百余年去る延暦二十四年に伝教大師・日本国にわたし給いたりしかども此の国にあしかりなむと思し食し候間宗の字を・ゆるさず・天台法華宗の方便となし給い畢んぬ、其の後・伝教大師・御入滅の次を・うかがひて弘法大師・伝教に偏執して宗の字を加えしかども・叡山は用うる事なかりしほどに・慈覚・智証・短才にして二人の身は当山に居ながら心は東寺の弘法に同意するかの故に我が大師には背いて始めて叡山に真言宗を立てぬ・日本亡国の起り是なり、爾来・三百余年・或は真言勝れ法華勝れ一同なむど諍論・事きれざりしかば王法も左右なく尽きざりき、人王七十七代・後白河法皇の御宇に天台の座主明雲・一向に真言の座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ頭破作七分是なり、第八十二代隠岐の法皇の御時・禅宗・念仏宗出来つて真言の大悪法に加えて国土に流布せしかば、天照太神・正八幡の百王・百代の御誓やぶれて王法すでに尽きぬ、関東の権の大夫義時に天照太神・正八幡の御計いとして国務をつけ給い畢んぬ、爰に彼の三の悪法・関東に落ち下りて
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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頼基陳状 | 56 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
頼基陳状 1,161ページ
随つて頼基は父子二代・命を君に・まいらせたる事顕然なり・故親父中務某故君の御勘気かふらせ給いける時・数百人の御内の臣等・心がはりし候けるに中務一人・最後の御供奉して伊豆の国まで参りて候き、頼基は去る文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節・伊豆の国に候しかば十日の申の時に承りて唯一人・筥根山を一時に馳せ越えて御前に自害すべき八人の内に候き、自然に世しづまり候しかば今に君も安穏にこそわたらせ給い候へ、爾来・大事小事に付けて御心やすき者にこそ思い含まれて候・頼基が今更・何につけて疎縁に思いまいらせ候べき、後生までも随従しまいらせて頼基・成仏し候はば君をも・すくひまいらせ君成仏しましまさば頼基も・たすけられ・まいらせむと・こそ存じ候へ。
其れに付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何れか成仏の法と・うかがひ候処に日蓮聖人の御房は三界の主・一切衆生の父母・釈迦如来の御使・上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説かれて・ましましけるを信じまいらせたるに候、今こそ真言宗と申す悪法・日本国に渡りて四百余年去る延暦二十四年に伝教大師・日本国にわたし給いたりしかども此の国にあしかりなむと思し食し候間宗の字を・ゆるさず・天台法華宗の方便となし給い畢んぬ、其の後・伝教大師・御入滅の次を・うかがひて弘法大師・伝教に偏執して宗の字を加えしかども・叡山は用うる事なかりしほどに・慈覚・智証・短才にして二人の身は当山に居ながら心は東寺の弘法に同意するかの故に我が大師には背いて始めて叡山に真言宗を立てぬ・日本亡国の起り是なり、爾来・三百余年・或は真言勝れ法華勝れ一同なむど諍論・事きれざりしかば王法も左右なく尽きざりき、人王七十七代・後白河法皇の御宇に天台の座主明雲・一向に真言の座主になりしかば明雲は義仲にころされぬ頭破作七分是なり、第八十二代隠岐の法皇の御時・禅宗・念仏宗出来つて真言の大悪法に加えて国土に流布せしかば、天照太神・正八幡の百王・百代の御誓やぶれて王法すでに尽きぬ、関東の権の大夫義時に天照太神・正八幡の御計いとして国務をつけ給い畢んぬ、爰に彼の三の悪法・関東に落ち下りて
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