御書本文

乙御前御消息
1,221ページ

南無妙法蓮華経と申すべし、抑法華経をよくよく信じたらん男女をば肩に・になひ背に・おうべきよし経文に見えて候上・くまらゑん三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給いて候いしぞかし、日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき。
 いかなる男をせさせ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、木は火にやかるれども栴檀の木は、やけず、火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、華は風にちれども浄居の華は・しぼまず・水は大旱魃に失れども黄河に入りぬれば失せず、檀弥羅王と申せし悪王は月氏の僧の頸を切りしに・とがなかりしかども・師子尊者の頸を切りし時・刀と手と共に一時に落ちにき、弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼し時・十二神の棒にかふべわられにき、今日本国の人人は法華経の・かたきと・なりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、かう申せば日蓮が自讃なりと心えぬ人は申すなり、さには・あらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、又云う事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、又身軽法重・死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死かばね還つて重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と・いははるるやうに・いはうべし、其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべしと・おぼしめせ、抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや、法華経の第四に云く「仏滅度の後に能く其の義を解せんは是諸の天人世間之眼なり」等云云、法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
乙御前御消息 54   身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

乙御前御消息 1,221ページ

南無妙法蓮華経と申すべし、抑法華経をよくよく信じたらん男女をば肩に・になひ背に・おうべきよし経文に見えて候上・くまらゑん三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給いて候いしぞかし、日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給いぬ昔と今と一同なり、各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき。
 いかなる男をせさせ給うとも法華経のかたきならば随ひ給うべからず、いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、木は火にやかるれども栴檀の木は、やけず、火は水にけさるれども仏の涅槃の火はきえず、華は風にちれども浄居の華は・しぼまず・水は大旱魃に失れども黄河に入りぬれば失せず、檀弥羅王と申せし悪王は月氏の僧の頸を切りしに・とがなかりしかども・師子尊者の頸を切りし時・刀と手と共に一時に落ちにき、弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼し時・十二神の棒にかふべわられにき、今日本国の人人は法華経の・かたきと・なりて身を亡ぼし国を亡ぼしぬるなり、かう申せば日蓮が自讃なりと心えぬ人は申すなり、さには・あらず是を云わずば法華経の行者にはあらず、又云う事の後にあへばこそ人も信ずれ、かうただ・かきをきなばこそ未来の人は智ありけりとは・しり候はんずれ、又身軽法重・死身弘法とのべて候ば身は軽ければ人は打ちはり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし、法華経弘まるならば死かばね還つて重くなるべし、かばね重くなるならば此のかばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩と・いははるるやうに・いはうべし、其の時は日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべしと・おぼしめせ、抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや、法華経の第四に云く「仏滅度の後に能く其の義を解せんは是諸の天人世間之眼なり」等云云、法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション