御書本文
んで自宗の義と成すか、此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂う諫暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙玆に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦・長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三・北七並に華厳・法相・三論・東寺の弘法等・舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚・智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に在り云云。
文永元年甲子七月二十九日之を記す。 日 蓮 花押
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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法華真言勝劣事 | 43 | 鎌倉 |
日蓮大聖人御書
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法華真言勝劣事 127ページ
んで自宗の義と成すか、此の事余処に勘えたるが如し、問うて云く天台大師の玄義の三に云く「法華は衆経を総括す乃至舌口中に爛る人情を以て彼の大虚を局ること莫れ」等と云云、釈籤の三に云く「法華宗極の旨を了せずして声聞に記する事相のみ華厳・般若の融通無礙なるに如かずと謂う諫暁すれども止まず舌の爛れんこと何ぞ疑わん、乃至已今当の妙玆に於て固く迷えり舌爛れて止まざるは猶為れ華報なり謗法の罪苦・長劫に流る」等と云云、若し天台妙楽の釈実ならば南三・北七並に華厳・法相・三論・東寺の弘法等・舌爛れんこと何の疑有らんや、乃至苦流長劫の者なるか、是は且く之を置く慈覚・智証等の親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の「舌爛口中苦流長劫」は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に在り云云。
文永元年甲子七月二十九日之を記す。 日 蓮 花押
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