御書本文
経には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」或は「速為疾得・無上仏道」等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば・諸仏の御舌もきれ・多宝の塔も破れ落ち・二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり・方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし、争か・さる事候べきや・あらたのもしや・たのもしや・是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。
大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久からず過ぐる時刻も程あらず、例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時・五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。
余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、恐恐謹言。
四月十三日 日 蓮 花押
最蓮房御返事
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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最蓮房御返事 | 51 |
日蓮大聖人御書
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最蓮房御返事 1,343ページ
経には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」或は「速為疾得・無上仏道」等云云、此の記文虚くして我等が成仏今度虚言ならば・諸仏の御舌もきれ・多宝の塔も破れ落ち・二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀となり・方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし、争か・さる事候べきや・あらたのもしや・たのもしや・是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。
大事の法門をば昼夜に沙汰し成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう、是くの如く過ぎ行き候へば年月を送れども久からず過ぐる時刻も程あらず、例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して法華の妙理をうなづき合い給いし時・五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむと云いしが如くなり、劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し。
余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候、又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候、恐恐謹言。
四月十三日 日 蓮 花押
最蓮房御返事
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