御書本文
見擯出の者なり、星宿とは此の二十余年の天変・地夭等是なり、経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり、其の上御勘気已前に其の由之を勘え出す所謂立正安国論是なり誰か之を疑わん之を以て歎と為す、但し仏滅後今に二千二百二十二年なり、正法一千年には竜樹・天親等・仏の御使と為て法を弘む然りと雖も但小・権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず像法に入つて五百年に天台大師・漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたもう、所謂教門の五時・観門の一念三千是なり、国を挙げて小釈迦と号す、然りと雖も円定・円慧に於ては之を弘宣して円戒は未だ之を弘めず、仏滅後一千八百年に入りて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す、其の上天台の未だ弘めたまわざる円頓戒之を弘宣したもう所謂叡山円頓の大戒是なり、但し仏滅後二千余年三朝の間・数万の寺々之有り、然りと雖も本門の教主の寺塔・地涌千界の菩薩の別に授与したもう所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず弘むべしと云う経文は有つて国土には無し時機の未だ至らざる故か、仏記して云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」等云云、天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、此れ等の経釈は末法の始を指し示すなり、外道記して云く「我が滅後一百年に当つて仏世に出でたもう」と云云、儒家に記して云く「一千年の後・仏法漢土に渡る」等云云、是くの如き凡人の記文すら尚以て符契の如し況や伝教・天台をや何に況や釈迦・多宝の金口の明記をや、当に知るべし残る所の本門の教主・妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑無き者か、但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つるか、貴辺は之を聞きたもうこと一両度・一時二時か然りと雖も未だ捨てたまわず御信心の由之を聞く偏えに今生の事に非じ、妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得聞き已つて信を生ずること宿種なるべし」等云云、又云く「運像末に居し此の真文を矚
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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波木井三郎殿御返事 | 52 | 南部六郎三郎 | 佐渡 |
日蓮大聖人御書
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波木井三郎殿御返事 1,372ページ
見擯出の者なり、星宿とは此の二十余年の天変・地夭等是なり、経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり、其の上御勘気已前に其の由之を勘え出す所謂立正安国論是なり誰か之を疑わん之を以て歎と為す、但し仏滅後今に二千二百二十二年なり、正法一千年には竜樹・天親等・仏の御使と為て法を弘む然りと雖も但小・権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず像法に入つて五百年に天台大師・漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたもう、所謂教門の五時・観門の一念三千是なり、国を挙げて小釈迦と号す、然りと雖も円定・円慧に於ては之を弘宣して円戒は未だ之を弘めず、仏滅後一千八百年に入りて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す、其の上天台の未だ弘めたまわざる円頓戒之を弘宣したもう所謂叡山円頓の大戒是なり、但し仏滅後二千余年三朝の間・数万の寺々之有り、然りと雖も本門の教主の寺塔・地涌千界の菩薩の別に授与したもう所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず弘むべしと云う経文は有つて国土には無し時機の未だ至らざる故か、仏記して云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」等云云、天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、此れ等の経釈は末法の始を指し示すなり、外道記して云く「我が滅後一百年に当つて仏世に出でたもう」と云云、儒家に記して云く「一千年の後・仏法漢土に渡る」等云云、是くの如き凡人の記文すら尚以て符契の如し況や伝教・天台をや何に況や釈迦・多宝の金口の明記をや、当に知るべし残る所の本門の教主・妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑無き者か、但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つるか、貴辺は之を聞きたもうこと一両度・一時二時か然りと雖も未だ捨てたまわず御信心の由之を聞く偏えに今生の事に非じ、妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得聞き已つて信を生ずること宿種なるべし」等云云、又云く「運像末に居し此の真文を矚
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