御書本文

松野殿御消息
1,379ページ

 今此の法華経わたらせ給へども或は念仏を申し・或は真言にいとまを入れ・禅宗持斎なんど申し或は法華経を読む人は有りしかども南無妙法蓮華経と唱うる人は日本国に一人も無し、日蓮始めて建長五年夏の始より二十余年が間・唯一人・当時の人の念仏を申すやうに唱うれば人ごとに是れを笑ひ・結句はのりうち切り流し頸をはねんとせらるること・一日・二日・一月・二月・一年・二年ならざればこらふべしともをぼえ候はねども、此の経の文を見候へば檀王と申せし王は千歳が間・阿私仙人に責めつかはれ身を牀となし給ふ、不軽菩薩と申せし僧は多年が間・悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき七万二千歳ひぢを焼き給ふ、此れを見はんべるに何なる責め有りともいかでかさてせき留むべきと思ふ心に今まで退転候はず。
 然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに何と思し食して御信用あるやらん、是れ偏に過去の宿植なるべし、来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来りてもよをすこころなるべし、其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず・釈迦仏の御魂の入りかはれる人は・此の経を信ずと見へて候へば・水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく・御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふかとたのもしく覚へ候、法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼れに過ぎん」等云云、文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも末代の浅智なる法華経の行者の上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。
 一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を・やすりを以て無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖の衣と申してきはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て三年に一度下てなづるになでつくしたるを一劫と申す、此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文な

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
松野殿御消息 55   身延

日蓮大聖人御書

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松野殿御消息 1,379ページ

 今此の法華経わたらせ給へども或は念仏を申し・或は真言にいとまを入れ・禅宗持斎なんど申し或は法華経を読む人は有りしかども南無妙法蓮華経と唱うる人は日本国に一人も無し、日蓮始めて建長五年夏の始より二十余年が間・唯一人・当時の人の念仏を申すやうに唱うれば人ごとに是れを笑ひ・結句はのりうち切り流し頸をはねんとせらるること・一日・二日・一月・二月・一年・二年ならざればこらふべしともをぼえ候はねども、此の経の文を見候へば檀王と申せし王は千歳が間・阿私仙人に責めつかはれ身を牀となし給ふ、不軽菩薩と申せし僧は多年が間・悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき七万二千歳ひぢを焼き給ふ、此れを見はんべるに何なる責め有りともいかでかさてせき留むべきと思ふ心に今まで退転候はず。
 然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに何と思し食して御信用あるやらん、是れ偏に過去の宿植なるべし、来生に必ず仏に成らせ給うべき期の来りてもよをすこころなるべし、其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず・釈迦仏の御魂の入りかはれる人は・此の経を信ずと見へて候へば・水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく・御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふかとたのもしく覚へ候、法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼れに過ぎん」等云云、文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも末代の浅智なる法華経の行者の上下万人にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。
 一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を・やすりを以て無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖の衣と申してきはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て三年に一度下てなづるになでつくしたるを一劫と申す、此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文な


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