御書本文

松野殿後家尼御前御返事
1,391ページ

たまたま生れたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず、となふる事はゆめにもなし人の申すをも聞かず、仏のたとへを説かせ給うに一眼の亀の浮木の穴に値いがたきにたとへ給うなり、心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし・腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし、せなかのこうのさむき事は雪山ににたり、此の魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには・腹をひやしこうをあたためんと思ふ、赤栴檀と申す木をば聖木と名づく人の中の聖人なり、余の一切の木をば凡木と申す愚人の如し、此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり、あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし・こうをば天の日にあてあたためばやと申すなり、自然のことはりとして千年に一度出る亀なり、しかれども此の木に値事かたし、大海は広し亀はちいさし浮木はまれなり、たとひよのうきぎにはあへども栴檀にはあはず、あへども亀の腹をえりはめたる様に・がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし我が身をち入りなばこうをも・あたためがたし誰か又とりあぐべき、又穴せばくして腹を穴に入れえずんば波にあらひ・をとされて大海にしづみなむ、たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し云云、浮木には・とをざかれども近づく事はなし、是の如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり、此の喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ、設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を心うべきなり、大海をば生死の苦海なり亀をば我等衆生にたとへたり、手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ・背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ・千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕ちて浮びがたきにたとへ、千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう、余の松木ひの木の浮木には・あひやすく栴檀にはあひがたし、一切経には値いやすく法華

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
松野殿後家尼御前御返事 58   身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

松野殿後家尼御前御返事 1,391ページ

たまたま生れたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず、となふる事はゆめにもなし人の申すをも聞かず、仏のたとへを説かせ給うに一眼の亀の浮木の穴に値いがたきにたとへ給うなり、心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし・腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし、せなかのこうのさむき事は雪山ににたり、此の魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには・腹をひやしこうをあたためんと思ふ、赤栴檀と申す木をば聖木と名づく人の中の聖人なり、余の一切の木をば凡木と申す愚人の如し、此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり、あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし・こうをば天の日にあてあたためばやと申すなり、自然のことはりとして千年に一度出る亀なり、しかれども此の木に値事かたし、大海は広し亀はちいさし浮木はまれなり、たとひよのうきぎにはあへども栴檀にはあはず、あへども亀の腹をえりはめたる様に・がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし我が身をち入りなばこうをも・あたためがたし誰か又とりあぐべき、又穴せばくして腹を穴に入れえずんば波にあらひ・をとされて大海にしづみなむ、たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し云云、浮木には・とをざかれども近づく事はなし、是の如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり、此の喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ、設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を心うべきなり、大海をば生死の苦海なり亀をば我等衆生にたとへたり、手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ・背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ・千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕ちて浮びがたきにたとへ、千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう、余の松木ひの木の浮木には・あひやすく栴檀にはあひがたし、一切経には値いやすく法華


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション