御書本文
女が御身に入らせ給うか。
さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事・見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく・よろづの人に・なさけあらんと思いし人なれば、心の中は・うけずこそ・をぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり、又女房の信じたるよしありしかば実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候、されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ我が身も多分は念仏者にて・をはせしかば後生はいかがと・をぼつかなし、譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには恩のあるもあり又なきもあり、少しもをろかなる事候へば・とがになる事疑なし、法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。
是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがと・をしはかるに・あはれなり、たとへば・ふぢのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるが・かきの破れたるが如くに・をぼすらん、内へ入れば主なし・やぶれたる家の柱なきが如し、客人来れども外に出でて・あひしらうべき人もなし、夜のくらきには・ねやすさまじく・はかをみれば・しるしはあれども声もきこへず、又思いやる死出の山・三途の河をば誰とか越え給うらん只独り歎き給うらん、とどめをきし御前たち・いかに我をば・ひとりやるらん、さはちぎらざりとや歎かせ給うらん、かたがた秋の夜の・ふけゆくままに冬の嵐の・をとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
弘安元年戊寅九月六日 日 蓮 花押
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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妙法比丘尼御返事 | 57 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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妙法比丘尼御返事 1,418ページ
女が御身に入らせ給うか。
さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事・見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく・よろづの人に・なさけあらんと思いし人なれば、心の中は・うけずこそ・をぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり、又女房の信じたるよしありしかば実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候、されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ我が身も多分は念仏者にて・をはせしかば後生はいかがと・をぼつかなし、譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには恩のあるもあり又なきもあり、少しもをろかなる事候へば・とがになる事疑なし、法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。
是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがと・をしはかるに・あはれなり、たとへば・ふぢのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるが・かきの破れたるが如くに・をぼすらん、内へ入れば主なし・やぶれたる家の柱なきが如し、客人来れども外に出でて・あひしらうべき人もなし、夜のくらきには・ねやすさまじく・はかをみれば・しるしはあれども声もきこへず、又思いやる死出の山・三途の河をば誰とか越え給うらん只独り歎き給うらん、とどめをきし御前たち・いかに我をば・ひとりやるらん、さはちぎらざりとや歎かせ給うらん、かたがた秋の夜の・ふけゆくままに冬の嵐の・をとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
弘安元年戊寅九月六日 日 蓮 花押
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