御書本文

盂蘭盆御書
1,428ページ

づねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しといづれかをろかなるべきかれはいますこしかなしさわまさりけん。
 目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給ひ・はんをまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり左の手にては・はんをかくして口にをし入れ給いしかば、いかんが・したりけんはん変じて火となり・やがてもへあがり、とうしびをあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のごこごことやけ候しを目連見給いて、あまりあわてさわぎ大神通を現じて大なる水をかけ候しかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候し事こそあはれには候しか、其の時目連みづからの神通かなわざりしかば・はしりかへり須臾に仏にまいりてなげき申せしやうは、我が身は外道の家に生れて候しが仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへて、三界の生をはなれ三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に・かへりて大苦にあわせて候は、心うしとなげき候しかば、仏け説いて云く汝が母は・つみふかし・汝一人が力及ぶべからず、又多人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず、七月十五日に十方の聖僧をあつめて百味をんじきととのへて母のくはすくうべしと云云、目連・仏の仰せのごとく行いしかば其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給いきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候、其によつて滅後末代の人人は七月十五日に此の法を行い候なり、此は常のごとし。
 日蓮案じて云く目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人・二百五十戒をかたく持つ事石のごとし、三千の威儀を備えてかけざる事は十五夜の月のごとし、智慧は日ににたり・神通は須弥山を十四さうまき大山をうごかせし人ぞかし、かかる聖人だにも重報の乳母の恩ほうじがたし、あまさへほうぜんとせしかば大苦をまし給いき、いまの僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんと・せんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず、設い千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべし

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
盂蘭盆御書 56   身延

日蓮大聖人御書

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盂蘭盆御書 1,428ページ

づねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しといづれかをろかなるべきかれはいますこしかなしさわまさりけん。
 目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給ひ・はんをまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり左の手にては・はんをかくして口にをし入れ給いしかば、いかんが・したりけんはん変じて火となり・やがてもへあがり、とうしびをあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のごこごことやけ候しを目連見給いて、あまりあわてさわぎ大神通を現じて大なる水をかけ候しかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候し事こそあはれには候しか、其の時目連みづからの神通かなわざりしかば・はしりかへり須臾に仏にまいりてなげき申せしやうは、我が身は外道の家に生れて候しが仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへて、三界の生をはなれ三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に・かへりて大苦にあわせて候は、心うしとなげき候しかば、仏け説いて云く汝が母は・つみふかし・汝一人が力及ぶべからず、又多人なりとも天神・地神・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず、七月十五日に十方の聖僧をあつめて百味をんじきととのへて母のくはすくうべしと云云、目連・仏の仰せのごとく行いしかば其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給いきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候、其によつて滅後末代の人人は七月十五日に此の法を行い候なり、此は常のごとし。
 日蓮案じて云く目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人・二百五十戒をかたく持つ事石のごとし、三千の威儀を備えてかけざる事は十五夜の月のごとし、智慧は日ににたり・神通は須弥山を十四さうまき大山をうごかせし人ぞかし、かかる聖人だにも重報の乳母の恩ほうじがたし、あまさへほうぜんとせしかば大苦をまし給いき、いまの僧等の二百五十戒は名計りにて事をかいによせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんと・せんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず、設い千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべし


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