御書本文

上野殿後家尼御返事
1,505ページ

坑・紅蓮・大紅蓮の冰の底に入りしづみ給はん事疑なかるべし、法華経の第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。
 故聖霊は此の苦をまぬかれ給い・すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん」又云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」云云、あらたのもしや・たのもしや、詮ずるところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし、此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせて・おしへまいらせん、例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし。
 地獄と云う二字をばつちをほるとよめり、人の死する時つちをほらぬもの候べきか、これを地獄と云う、死人をやく火は無間の火炎なり、妻子・眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり、妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり、二尺五寸の杖は鉄杖なり・馬は馬頭・牛は牛頭なり、穴は無間大城・八万四千のかまは八万四千の塵労門・家をきりいづるは死出の山・孝子の河のほとりにたたずむは三途の愛河なり、別に求むる事はかなしはかなし、此の法華経をたもちたてまつる人は此れをうちかへし・地獄は寂光土・火焰は報身如来の智火・死人は法身如来・火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海・死出の山は煩悩即菩提の重山なり、かく御心得させ給へ・即身成仏とも開仏知見ともこれをさとり・これをひらくを申すなり、提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外は候はず、逆即是順の法華経なれば

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
上野殿後家尼御返事 53   身延

日蓮大聖人御書

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上野殿後家尼御返事 1,505ページ

坑・紅蓮・大紅蓮の冰の底に入りしづみ給はん事疑なかるべし、法華経の第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。
 故聖霊は此の苦をまぬかれ給い・すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん」又云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」云云、あらたのもしや・たのもしや、詮ずるところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし、此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせて・おしへまいらせん、例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし。
 地獄と云う二字をばつちをほるとよめり、人の死する時つちをほらぬもの候べきか、これを地獄と云う、死人をやく火は無間の火炎なり、妻子・眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり、妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり、二尺五寸の杖は鉄杖なり・馬は馬頭・牛は牛頭なり、穴は無間大城・八万四千のかまは八万四千の塵労門・家をきりいづるは死出の山・孝子の河のほとりにたたずむは三途の愛河なり、別に求むる事はかなしはかなし、此の法華経をたもちたてまつる人は此れをうちかへし・地獄は寂光土・火焰は報身如来の智火・死人は法身如来・火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海・死出の山は煩悩即菩提の重山なり、かく御心得させ給へ・即身成仏とも開仏知見ともこれをさとり・これをひらくを申すなり、提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外は候はず、逆即是順の法華経なれば


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