御書本文

上野殿御返事
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なり。
 さればはるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす、阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ、或は道に兵士をすへ・或は井に糞を入れ・或は女人をかたらひて・そら事いひつけて仏弟子をころす、舎利弗・目連が事にあひ・かるだいが馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏九十日・馬のむぎをまいりしこれなり、世間の人のおもはく・悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひて信じたりし人人も音をのみて・もの申さず眼をとぢてものを・みる事なし、ただ舌をふり手をかきし計りなり、結句は提婆達多・釈迦如来の養母・蓮華比丘尼を打ちころし・仏の御身より血を出せし上・誰の人か・かたうどになるべき、かくやうやうになりての上・いかがしたりけん法華経をとかせ給いぬ、此の法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」と云云、文の心は我が現在して候だにも此の経の御かたきかくのごとし、いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をやと説かれて候なり、此れをもつておもひ候へば仏・法華経をとかせ給いて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども・いまだ法華経を仏のごとく・よみたる人は候はぬか、大難をもちてこそ・法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とは・みへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南三・北七・南都・七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず・万民つるぎをにぎらず・一国悪口をはかず、滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに・同じほどの難だにも来らず・何に況やすぐれたる大難・多難をや。
 虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいばうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわがず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候、今日蓮は賢人にもあらず・まして聖人は・おもひも

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
上野殿御返事 56   身延

日蓮大聖人御書

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上野殿御返事 1,538ページ

なり。
 さればはるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす、阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ、或は道に兵士をすへ・或は井に糞を入れ・或は女人をかたらひて・そら事いひつけて仏弟子をころす、舎利弗・目連が事にあひ・かるだいが馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏九十日・馬のむぎをまいりしこれなり、世間の人のおもはく・悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひて信じたりし人人も音をのみて・もの申さず眼をとぢてものを・みる事なし、ただ舌をふり手をかきし計りなり、結句は提婆達多・釈迦如来の養母・蓮華比丘尼を打ちころし・仏の御身より血を出せし上・誰の人か・かたうどになるべき、かくやうやうになりての上・いかがしたりけん法華経をとかせ給いぬ、此の法華経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」と云云、文の心は我が現在して候だにも此の経の御かたきかくのごとし、いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をやと説かれて候なり、此れをもつておもひ候へば仏・法華経をとかせ給いて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども・いまだ法華経を仏のごとく・よみたる人は候はぬか、大難をもちてこそ・法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とは・みへて候しかども在世のごとくの大難なし、ただ南三・北七・南都・七大寺の小難なり、いまだ国主かたきとならず・万民つるぎをにぎらず・一国悪口をはかず、滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに・同じほどの難だにも来らず・何に況やすぐれたる大難・多難をや。
 虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる・野兎のうそぶき驢馬のいばうるに・風ふかず雲をこる事なし、愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわがず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時・一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候、今日蓮は賢人にもあらず・まして聖人は・おもひも


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