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唱法華題目抄
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位に入らずして三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん此の結縁の衆をば天台妙楽は名字観行の位にかなひたる人なりと定め給へり名字観行の位は一念三千の義理を弁へ十法成乗の観を凝し能能義理を弁えたる人なり一念随喜・五十展転と申すも天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり博地の凡夫の事にはあらず然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆一分の義理をも知らざらんは豈無量の世界の塵点劫を経ざらんや是れ偏えに理深解微の故に教は至つて深く機は実に浅きがいたす処なり只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界に往生し西方極楽世界に永く不退の無生忍を得て阿弥陀如来・観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて悟を得んには如かじ然るに弥陀の本願は有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒等をも択ばず只一念唱うれば臨終に必ず弥陀如来・本願の故に来迎し給ふ是を以て思うに此の土にして法華経の結縁を捨て浄土に往生せんとをもふは億千世界の塵点を経ずして疾法華経を悟るがためなり法華経の根機にあたはざる人の此の穢土にて法華経にいとまをいれて一向に念仏を申さざるは法華経の証は取り難く極楽の業は定まらず中間になりて中中法華経をおろそかにする人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に、其の上只今承り候へば僅に法華経の結縁計ならば三悪道に堕ちざる計にてこそ候へ六道の生死を出るにはあらず、念仏の法門はなにと義理を知らざれども弥陀の名号を唱え奉れば浄土に往生する由を申すは遙かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞え侍れ、答えて云く誠に仰せめでたき上智者の御物語にも侍るなればさこそと存じ候へども但し若し御物語のごとく侍らばすこし不審なる事侍り、大通結縁の者をあらあらうちあてがい申すには名字観行の者とは釈せられて侍れども正しく名字即の位の者と定められ侍る上退大取小の者とて法華経をすてて権教にうつり後には悪道に堕ちたりと見えたる上正しく法

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
唱法華題目抄 39   鎌倉

日蓮大聖人御書

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唱法華題目抄 2ページ

位に入らずして三千塵点劫をへたり、其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん此の結縁の衆をば天台妙楽は名字観行の位にかなひたる人なりと定め給へり名字観行の位は一念三千の義理を弁へ十法成乗の観を凝し能能義理を弁えたる人なり一念随喜・五十展転と申すも天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり博地の凡夫の事にはあらず然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆一分の義理をも知らざらんは豈無量の世界の塵点劫を経ざらんや是れ偏えに理深解微の故に教は至つて深く機は実に浅きがいたす処なり只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界に往生し西方極楽世界に永く不退の無生忍を得て阿弥陀如来・観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて悟を得んには如かじ然るに弥陀の本願は有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒等をも択ばず只一念唱うれば臨終に必ず弥陀如来・本願の故に来迎し給ふ是を以て思うに此の土にして法華経の結縁を捨て浄土に往生せんとをもふは億千世界の塵点を経ずして疾法華経を悟るがためなり法華経の根機にあたはざる人の此の穢土にて法華経にいとまをいれて一向に念仏を申さざるは法華経の証は取り難く極楽の業は定まらず中間になりて中中法華経をおろそかにする人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に、其の上只今承り候へば僅に法華経の結縁計ならば三悪道に堕ちざる計にてこそ候へ六道の生死を出るにはあらず、念仏の法門はなにと義理を知らざれども弥陀の名号を唱え奉れば浄土に往生する由を申すは遙かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞え侍れ、答えて云く誠に仰せめでたき上智者の御物語にも侍るなればさこそと存じ候へども但し若し御物語のごとく侍らばすこし不審なる事侍り、大通結縁の者をあらあらうちあてがい申すには名字観行の者とは釈せられて侍れども正しく名字即の位の者と定められ侍る上退大取小の者とて法華経をすてて権教にうつり後には悪道に堕ちたりと見えたる上正しく法


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