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開目抄上
207ページ

法久後・要当説真実と照させ給いて華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫赫たる日輪・明明たる月輪のごとく鳳文にしるし亀鏡に浮べられて候へばこそ如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとくは仰がれ給しか、水すまば月・影を・をしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや、法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中をすぎても大石の中を・とをりてもとぶらはせ給うべし、迦葉の入定もことにこそ・よれ、いかにと・なりぬるぞ・いぶかしとも申すばかりなし、後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか日蓮が法華経の行者ならざるか、法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ巻をなげすてよと・ゑりつけて法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の・大難のはげしさ・をみて諸天下り給わざるか、日月・天にまします須弥山いまも・くづれず海潮も増減す四季も・かたのごとく・たがはず・いかに・なりぬるやらんと大疑いよいよ・つもり候。
 又諸大菩薩天人等のごときは爾前の経経にして記莂を・うるやうなれども水中の月を取らんと・するがごとく影を体とおもうがごとく・いろかたち・のみあつて実義もなし、又仏の御恩も深くて深からず、世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩・十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給いき、此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず、十方世界の諸の梵天等も来つて法をとく又釈尊に・ならいたてまつらず、総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり、釈尊の過去・因位の御弟子にや有るらん・十方世界の先仏の御弟子にや有るらん、一代教主・始成の正覚の仏の弟子にはあらず、阿含・方等・般若の時・四教を仏の説き給いし時こそ・やうやく御弟子は出来して候へ、此も又・仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへ・いかんとなれば方等・般若の別・円・二教は華厳経の別・円・二教

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
開目抄上 51 門下一同 佐渡

日蓮大聖人御書

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開目抄上 207ページ

法久後・要当説真実と照させ給いて華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫赫たる日輪・明明たる月輪のごとく鳳文にしるし亀鏡に浮べられて候へばこそ如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとくは仰がれ給しか、水すまば月・影を・をしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや、法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中をすぎても大石の中を・とをりてもとぶらはせ給うべし、迦葉の入定もことにこそ・よれ、いかにと・なりぬるぞ・いぶかしとも申すばかりなし、後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか日蓮が法華経の行者ならざるか、法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ巻をなげすてよと・ゑりつけて法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の・大難のはげしさ・をみて諸天下り給わざるか、日月・天にまします須弥山いまも・くづれず海潮も増減す四季も・かたのごとく・たがはず・いかに・なりぬるやらんと大疑いよいよ・つもり候。
 又諸大菩薩天人等のごときは爾前の経経にして記莂を・うるやうなれども水中の月を取らんと・するがごとく影を体とおもうがごとく・いろかたち・のみあつて実義もなし、又仏の御恩も深くて深からず、世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩・十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給いき、此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず、十方世界の諸の梵天等も来つて法をとく又釈尊に・ならいたてまつらず、総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり、釈尊の過去・因位の御弟子にや有るらん・十方世界の先仏の御弟子にや有るらん、一代教主・始成の正覚の仏の弟子にはあらず、阿含・方等・般若の時・四教を仏の説き給いし時こそ・やうやく御弟子は出来して候へ、此も又・仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへ・いかんとなれば方等・般若の別・円・二教は華厳経の別・円・二教


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