御書本文

撰時抄
267ページ

巻を造りて法華経の淵底を極めたり、像法の末に伝教大師・日本に出現して天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや、答えて云く如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり、しかれども仏教はしからず上根上智の人のために必ず大法を説くならば初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる正法の先五百年に大乗経を弘通すべし、有縁の人に大法を説かせ給うならば浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず、無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず、不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ、されば機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり。
 問うて云く竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや、答えて云く宣べ給はず、問うて云く何なる教をか宣べ給いし、答えて云く華厳・方等・般若・大日経等の権大乗・顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず、問うて云く何をもつてこれをしるや答えて云く竜樹菩薩の所造の論三十万偈・而れども尽して漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども漢土にわたれる十住毘婆娑論・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。
 疑つて云く天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん、答えて云く竜樹菩薩の事は私に申すべからず仏記し給う我が滅後に竜樹菩薩と申す人・南天竺に出ずべし彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う、随つて竜樹菩薩の流・天竺に七十家あり七十人ともに大論師なり、彼の七十家の人人は皆中論を本とす中論四巻・二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり、此の四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なりいまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
撰時抄 54   身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

撰時抄 267ページ

巻を造りて法華経の淵底を極めたり、像法の末に伝教大師・日本に出現して天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘通せしむるのみならず円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給う豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや、答えて云く如来の教法は必ず機に随うという事は世間の学者の存知なり、しかれども仏教はしからず上根上智の人のために必ず大法を説くならば初成道の時なんぞ法華経をとき給はざる正法の先五百年に大乗経を弘通すべし、有縁の人に大法を説かせ給うならば浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず、無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず、不軽菩薩は誹謗の四衆に向つていかに法華経をば弘通せさせ給いしぞ、されば機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり。
 問うて云く竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや、答えて云く宣べ給はず、問うて云く何なる教をか宣べ給いし、答えて云く華厳・方等・般若・大日経等の権大乗・顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず、問うて云く何をもつてこれをしるや答えて云く竜樹菩薩の所造の論三十万偈・而れども尽して漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども漢土にわたれる十住毘婆娑論・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。
 疑つて云く天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん、答えて云く竜樹菩薩の事は私に申すべからず仏記し給う我が滅後に竜樹菩薩と申す人・南天竺に出ずべし彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う、随つて竜樹菩薩の流・天竺に七十家あり七十人ともに大論師なり、彼の七十家の人人は皆中論を本とす中論四巻・二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり、此の四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なりいまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション