御書本文
の外に迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし、猿の月の影をとるににたり云云、此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、主君にかんどうせられあるいは若なる法師等の学文にものうき遊女のものぐるわしき本性に叶る邪法なるゆへに皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり、しかれば天は天眼をいからかし地神は身をふるう、真言宗と申すは上の二のわざはひにはにるべくもなき大僻見なりあらあら此れを申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす、此の三経の説相分明なり其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗・其の相を論ずれば印と真言と計りなり、尚華厳般若の三一相対の一乗にも及ばず天台宗の爾前の別円程もなし但蔵通二教を面とするを善無畏三蔵をもはく此の経文をあらわにいゐ出す程ならば華厳法相にもをこづかれ天台宗にもわらはれなん大事として月支よりは持ち来りぬさてもだせば本意にあらずとやをもひけん、天台宗の中に一行禅師という僻人一人ありこれをかたらひて漢土の法門をかたらせけり、一行阿闍梨うちぬかれて三論・法相・華厳等をあらあら・かたるのみならず天台宗の立てられけるやうを申しければ善無畏をもはく天台宗は天竺にして聞きしにも・なをうちすぐれてかさむべきやうもなかりければ善無畏・一行をうちぬひて云く和僧は漢土には・こざかしき者にてありけり、天台宗は神妙の宗なり今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ一行さもやとをもひければ善無畏三蔵一行にかたて云く、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう汝かきなんやといゐければ一行が云くやすう候、但しいかやうにかき候べきぞ天台宗はにくき宗なり諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶わざる事一あり、所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもつて前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ、法華経の法師品・神力品をもつて後の経経をば又ふせがせぬ肩をならぶ経経をば今説の文をもつてせめ候大
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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撰時抄 | 54 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
撰時抄 275ページ
の外に迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし、猿の月の影をとるににたり云云、此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、主君にかんどうせられあるいは若なる法師等の学文にものうき遊女のものぐるわしき本性に叶る邪法なるゆへに皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり、しかれば天は天眼をいからかし地神は身をふるう、真言宗と申すは上の二のわざはひにはにるべくもなき大僻見なりあらあら此れを申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす、此の三経の説相分明なり其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗・其の相を論ずれば印と真言と計りなり、尚華厳般若の三一相対の一乗にも及ばず天台宗の爾前の別円程もなし但蔵通二教を面とするを善無畏三蔵をもはく此の経文をあらわにいゐ出す程ならば華厳法相にもをこづかれ天台宗にもわらはれなん大事として月支よりは持ち来りぬさてもだせば本意にあらずとやをもひけん、天台宗の中に一行禅師という僻人一人ありこれをかたらひて漢土の法門をかたらせけり、一行阿闍梨うちぬかれて三論・法相・華厳等をあらあら・かたるのみならず天台宗の立てられけるやうを申しければ善無畏をもはく天台宗は天竺にして聞きしにも・なをうちすぐれてかさむべきやうもなかりければ善無畏・一行をうちぬひて云く和僧は漢土には・こざかしき者にてありけり、天台宗は神妙の宗なり今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ一行さもやとをもひければ善無畏三蔵一行にかたて云く、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう汝かきなんやといゐければ一行が云くやすう候、但しいかやうにかき候べきぞ天台宗はにくき宗なり諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶わざる事一あり、所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもつて前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ、法華経の法師品・神力品をもつて後の経経をば又ふせがせぬ肩をならぶ経経をば今説の文をもつてせめ候大
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