御書本文
恩・智周・智昭等、三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等、此等の宗宗みな本経・本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意をきはめたりと云云、彼の人人云く一切経の中には華厳経第一なり法華経大日経等は臣下のごとし、真言宗の云く一切経の中には大日経第一なり余経は衆星のごとし、禅宗が云く一切経の中には楞伽経第一なり乃至余宗かくのごとし、而も上に挙ぐる諸師は世間の人人・各各おもえり諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に随うがごとし我等凡夫はいづれの師師なりとも信ずるならば不足あるべからず仰いでこそ信ずべけれども日蓮が愚案はれがたし、世間をみるに各各・我も我もといへども国主は但一人なり二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる一切経も又かくのごとくや有るらん何の経にても・をはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ、而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり、此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云、此の経に指すところ了義経と申すは法華経・不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経なり、されば仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。
随つて法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云此の経文のごとくば須弥山の頂に帝釈の居がごとく輪王の頂に如意宝珠のあるがごとく衆木の頂に月のやどるがごとく諸仏の頂に肉髻の住せるがごとく此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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報恩抄 | 55 | 身延 |
日蓮大聖人御書
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報恩抄 294ページ
恩・智周・智昭等、三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等、此等の宗宗みな本経・本論によりて我も我も一切経をさとれり仏意をきはめたりと云云、彼の人人云く一切経の中には華厳経第一なり法華経大日経等は臣下のごとし、真言宗の云く一切経の中には大日経第一なり余経は衆星のごとし、禅宗が云く一切経の中には楞伽経第一なり乃至余宗かくのごとし、而も上に挙ぐる諸師は世間の人人・各各おもえり諸天の帝釈をうやまひ衆星の日月に随うがごとし我等凡夫はいづれの師師なりとも信ずるならば不足あるべからず仰いでこそ信ずべけれども日蓮が愚案はれがたし、世間をみるに各各・我も我もといへども国主は但一人なり二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる一切経も又かくのごとくや有るらん何の経にても・をはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ、而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ我れ八宗十宗に随はじ天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり、此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云、此の経に指すところ了義経と申すは法華経・不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経なり、されば仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。
随つて法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云此の経文のごとくば須弥山の頂に帝釈の居がごとく輪王の頂に如意宝珠のあるがごとく衆木の頂に月のやどるがごとく諸仏の頂に肉髻の住せるがごとく此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。
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