御書本文

報恩抄
297ページ

敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし、又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり・戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし、又日蓮此れを知りながら人人を恐れて申さずは寧喪身命・不匿教者の仏陀の諫暁を用いぬ者となりぬ、いかんがせん・いはんとすれば世間をそろし止とすれば仏の諫暁のがれがたし進退此に谷り、むべなるかなや、法華経の文に云く「而かも此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」又云く一切世間怨多くして信じ難し等云云、釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ第六天の魔王・摩耶夫人の御腹をとをし見て我等が大怨敵・法華経と申す利剣をはらみたり事の成ぜぬ先に・いかにしてか失うべき、第六天の魔王大医と変じて浄飯王宮に入り御産安穏の良薬を持候大医ありとののしりて毒を后にまいらせつ、初生の時は石をふらし乳に毒をまじへ城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて或は大石をなげて仏の御身より血をいだし或は釈子をころし或は御弟子等を殺す、此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし如来現在・猶多怨嫉の大難ぞかし、此等は遠き難なり近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし、況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりも・すぐれてをそろしき大難あるべしと・とかれて候、仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべきいわうや在世より大なる大難にて・あるべかんなり、いかなる大難か提婆が長三丈広一丈六尺の大石阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもへども彼にもすぐるべく候なれば小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ、付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ仏陀密多・竜樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとな

この御書の最初のページ前のページ
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

検索結果詳細 御書本文

報恩抄 297ページ

敵たらざるべき、若し又恐をなして指し申さずは一切経の勝劣むなしかるべし、又此人人を恐れて末の人人を仏敵といはんとすれば彼の宗宗の末の人人の云く法華経に大日経をまさりたりと申すは我れ私の計にはあらず祖師の御義なり・戒行の持破・智慧の勝劣・身の上下はありとも所学の法門はたがふ事なしと申せば彼人人にとがなし、又日蓮此れを知りながら人人を恐れて申さずは寧喪身命・不匿教者の仏陀の諫暁を用いぬ者となりぬ、いかんがせん・いはんとすれば世間をそろし止とすれば仏の諫暁のがれがたし進退此に谷り、むべなるかなや、法華経の文に云く「而かも此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況んや滅度の後をや」又云く一切世間怨多くして信じ難し等云云、釈迦仏を摩耶夫人はらませ給いたりければ第六天の魔王・摩耶夫人の御腹をとをし見て我等が大怨敵・法華経と申す利剣をはらみたり事の成ぜぬ先に・いかにしてか失うべき、第六天の魔王大医と変じて浄飯王宮に入り御産安穏の良薬を持候大医ありとののしりて毒を后にまいらせつ、初生の時は石をふらし乳に毒をまじへ城を出でさせ給いしには黒き毒蛇と変じて道にふさがり乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて或は大石をなげて仏の御身より血をいだし或は釈子をころし或は御弟子等を殺す、此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかりし如来現在・猶多怨嫉の大難ぞかし、此等は遠き難なり近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし、況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりも・すぐれてをそろしき大難あるべしと・とかれて候、仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべきいわうや在世より大なる大難にて・あるべかんなり、いかなる大難か提婆が長三丈広一丈六尺の大石阿闍世王の酔象にはすぐべきとはおもへども彼にもすぐるべく候なれば小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ、付法蔵の人人は四依の菩薩・仏の御使なり提婆菩薩は外道に殺され師子尊者は檀弥羅王に頭を刎ねられ仏陀密多・竜樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとな


  • 自由語検索
※複数入力の場合、単語をスペースで区切ってください。
検索オプション