御書本文

報恩抄
302ページ

民の正言・此の経は天子の正言なり言は似れども人がら雲泥なり、譬へば濁水の月と清水の月のごとし月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ、善無畏・金剛智・死去の後・不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたしいよいよ真言宗盛りなりけり、但し妙楽大師といふ人あり天台大師よりは二百余年の後なれども智慧かしこき人にて天台の所釈を見明めてありしかば天台の釈の心は後にわたれる深密経・法相宗又始めて漢土に立てたる華厳宗・大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給いたりけるを、或は智のをよばざるか或は人に畏るるか或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるかかくて・あるならば天台の正義すでに失なん、又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして三十巻の末文を造り給う所謂弘決・釈籤・疏記これなり、此の三十巻の文は本書の重なれるをけづりよわきをたすくるのみならず天台大師の御時なかりしかば御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり。
 又日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に百済国より一切経・釈迦仏の像をわたす、又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして先生所持の一巻の法華経をとりよせ給いて持経と定め、其の後人王第三十七代・孝徳天王の御宇に三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる、人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる已上六宗なり、孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは十四代・一百二十余年が間は天台真言の二宗なし、桓武の御宇に最澄と申す小僧あり山階寺の行表僧正の御弟子なり、法相宗を始めとして六宗を習いきわめぬ而れども仏法いまだ極めたりとも・おぼえざりしに華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに天台大師の釈を引きのせたり此の疏こそ子細ありげなれ此の国に渡りたるか又いまだ・わたらざるかと不審ありしほどに有人にとひしかば其の人の云く大唐の揚州竜興

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

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報恩抄 302ページ

民の正言・此の経は天子の正言なり言は似れども人がら雲泥なり、譬へば濁水の月と清水の月のごとし月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ、善無畏・金剛智・死去の後・不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたしいよいよ真言宗盛りなりけり、但し妙楽大師といふ人あり天台大師よりは二百余年の後なれども智慧かしこき人にて天台の所釈を見明めてありしかば天台の釈の心は後にわたれる深密経・法相宗又始めて漢土に立てたる華厳宗・大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給いたりけるを、或は智のをよばざるか或は人に畏るるか或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるかかくて・あるならば天台の正義すでに失なん、又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして三十巻の末文を造り給う所謂弘決・釈籤・疏記これなり、此の三十巻の文は本書の重なれるをけづりよわきをたすくるのみならず天台大師の御時なかりしかば御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり。
 又日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に百済国より一切経・釈迦仏の像をわたす、又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして先生所持の一巻の法華経をとりよせ給いて持経と定め、其の後人王第三十七代・孝徳天王の御宇に三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる、人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる已上六宗なり、孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは十四代・一百二十余年が間は天台真言の二宗なし、桓武の御宇に最澄と申す小僧あり山階寺の行表僧正の御弟子なり、法相宗を始めとして六宗を習いきわめぬ而れども仏法いまだ極めたりとも・おぼえざりしに華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに天台大師の釈を引きのせたり此の疏こそ子細ありげなれ此の国に渡りたるか又いまだ・わたらざるかと不審ありしほどに有人にとひしかば其の人の云く大唐の揚州竜興


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