御書本文

報恩抄
315ページ

て千劫阿鼻に堕ちぬ、されば弘法・慈覚・智証等は設いひるがへす心ありとも尚法華経をよむならば重罪きへがたしいわうや・ひるがへる心なし、又法華経を失い真言教を昼夜に行い朝暮に伝法せしをや、世親菩薩・馬鳴菩薩は小をもつて大を破せる罪をば舌を切らんとこそせさせ給いしか、世親菩薩は仏説なれども阿含経をば・たわぶれにも舌の上にをかじとちかひ、馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗をやぶり給き、嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて百余人の智者の前にして五体を地になげ遍身にあせをながし紅の・なんだをながして今よりは弟子を見じ法華経をかうぜじ弟子の面を・まほり法華経をよみたてまつれば我力の此の経を知るににたりとて・天台よりも高僧老僧にて・おはせしが・わざと人のみるとき・をひまいらせて河をこへ・かうざに・ちかづきて・せなかにのせまいらせて高座にのぼせたてまつり結句・御臨終の後には隋の皇帝にまいらせて小児が母にをくれたるがごとくに足ずりをしてなき給いしなり、嘉祥大師の法華玄を見るにいたう法華経を謗じたる疏にはあらず但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ此れが謗法の根本にて候か。
 華厳の澄観も真言の善無畏も大日経と法華経とは理は一とこそ・かかれて候へ、嘉祥大師・とがあらば善無畏三蔵も脱がたしされば善無畏三蔵は中天の国主なり位をすてて他国にいたり殊勝・招提の二人にあひて法華経をうけ百千の石の塔を立てしかば法華経の行者とこそみへしか、しかれども大日経を習いしよりこのかた法華経を大日経に劣るとや・おもひけん、始はいたう其の義もなかりけるが漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ、天台宗をそねみ思う心つき給いけるかのゆへに、忽に頓死して二人の獄卒に鉄の繩七すぢつけられて閻魔王宮にいたりぬ、命いまだ・つきずと・いゐてかへされしに法華経を謗ずるとや・おもひけん真言の観念・印・真言等をば・なげすてて法華経の今此三界の文を唱えて繩も切れかへされ給いぬ、又雨のいのりを・おほせつけられたりしに忽に雨は下たりしかども大風吹きて国をやぶる、結句死し給いてありしには弟子等集りて臨終いみじきやうを・

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

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報恩抄 315ページ

て千劫阿鼻に堕ちぬ、されば弘法・慈覚・智証等は設いひるがへす心ありとも尚法華経をよむならば重罪きへがたしいわうや・ひるがへる心なし、又法華経を失い真言教を昼夜に行い朝暮に伝法せしをや、世親菩薩・馬鳴菩薩は小をもつて大を破せる罪をば舌を切らんとこそせさせ給いしか、世親菩薩は仏説なれども阿含経をば・たわぶれにも舌の上にをかじとちかひ、馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗をやぶり給き、嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて百余人の智者の前にして五体を地になげ遍身にあせをながし紅の・なんだをながして今よりは弟子を見じ法華経をかうぜじ弟子の面を・まほり法華経をよみたてまつれば我力の此の経を知るににたりとて・天台よりも高僧老僧にて・おはせしが・わざと人のみるとき・をひまいらせて河をこへ・かうざに・ちかづきて・せなかにのせまいらせて高座にのぼせたてまつり結句・御臨終の後には隋の皇帝にまいらせて小児が母にをくれたるがごとくに足ずりをしてなき給いしなり、嘉祥大師の法華玄を見るにいたう法華経を謗じたる疏にはあらず但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ此れが謗法の根本にて候か。
 華厳の澄観も真言の善無畏も大日経と法華経とは理は一とこそ・かかれて候へ、嘉祥大師・とがあらば善無畏三蔵も脱がたしされば善無畏三蔵は中天の国主なり位をすてて他国にいたり殊勝・招提の二人にあひて法華経をうけ百千の石の塔を立てしかば法華経の行者とこそみへしか、しかれども大日経を習いしよりこのかた法華経を大日経に劣るとや・おもひけん、始はいたう其の義もなかりけるが漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ、天台宗をそねみ思う心つき給いけるかのゆへに、忽に頓死して二人の獄卒に鉄の繩七すぢつけられて閻魔王宮にいたりぬ、命いまだ・つきずと・いゐてかへされしに法華経を謗ずるとや・おもひけん真言の観念・印・真言等をば・なげすてて法華経の今此三界の文を唱えて繩も切れかへされ給いぬ、又雨のいのりを・おほせつけられたりしに忽に雨は下たりしかども大風吹きて国をやぶる、結句死し給いてありしには弟子等集りて臨終いみじきやうを・


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