御書本文

報恩抄
320ページ

んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、此れ又何れの王・何れの年時ぞ漢土には建元を初とし日本には大宝を初として緇素の日記・大事には必ず年号のあるが、これほどの大事に・いかでか王も臣も年号も日時もなきや、又次ぎに云く「三論の道昌・法相の源仁・華厳の道雄・天台の円澄」等云云、抑も円澄は寂光大師・天台第二の座主なり、其の時何ぞ第一の座主義真・根本の伝教大師をば召さざりけるや、円澄は天台第二の座主・伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり、弟子を召さんよりは三論・法相・華厳よりは天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか、而も此の日記に云く「真言瑜伽の宗・秘密曼荼羅彼の時よりして建立す」等云云、此の筆は伝教・義真の御存生かとみゆ、弘法は平城天皇・大同二年より弘仁十三年までは盛に真言をひろめし人なり、其の時は此の二人現におはします又義真は天長十年までおはせしかば其の時まで弘法の真言は・ひろまらざりけるか・かたがた不審あり、孔雀経の疏は弘法の弟子・真済が自記なり信じがたし、又邪見者か、公家・諸家・円澄の記をひかるべきか、又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし、「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、面門とは口なり口の開けたりけるか眉間開くとかかんとしけるが悞りて面門とかけるか、ぼう書をつくるゆへに・かかるあやまりあるか、「大師智拳の印を結んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、涅槃経の五に云く「迦葉仏に白して言さく世尊我今是の四種の人に依らず何を以ての故に瞿師羅経の中の如き仏瞿師羅が為に説きたまわく若し天魔梵破壊せんと欲するが為に変じて仏の像と為り三十二相・八十種好を具足し荘厳し円光一尋面部円満なること猶月の盛明なるが如く眉間の毫相白きこと珂雪に踰え乃至左の脇より水を出し右の脇より火を出す」等云云、又六の巻に云く「仏迦葉に告げたまわく我般涅槃して乃至後是の魔波旬漸く当に我が正法を沮壊す乃至化して阿羅漢の身及仏の色身と作り魔王此の有漏の形を以て無漏の身と作り我が正法を壊らん」等云云、弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云、而も仏身を現ず此れ涅槃

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
報恩抄 55   身延

日蓮大聖人御書

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報恩抄 320ページ

んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、此れ又何れの王・何れの年時ぞ漢土には建元を初とし日本には大宝を初として緇素の日記・大事には必ず年号のあるが、これほどの大事に・いかでか王も臣も年号も日時もなきや、又次ぎに云く「三論の道昌・法相の源仁・華厳の道雄・天台の円澄」等云云、抑も円澄は寂光大師・天台第二の座主なり、其の時何ぞ第一の座主義真・根本の伝教大師をば召さざりけるや、円澄は天台第二の座主・伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり、弟子を召さんよりは三論・法相・華厳よりは天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか、而も此の日記に云く「真言瑜伽の宗・秘密曼荼羅彼の時よりして建立す」等云云、此の筆は伝教・義真の御存生かとみゆ、弘法は平城天皇・大同二年より弘仁十三年までは盛に真言をひろめし人なり、其の時は此の二人現におはします又義真は天長十年までおはせしかば其の時まで弘法の真言は・ひろまらざりけるか・かたがた不審あり、孔雀経の疏は弘法の弟子・真済が自記なり信じがたし、又邪見者か、公家・諸家・円澄の記をひかるべきか、又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし、「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、面門とは口なり口の開けたりけるか眉間開くとかかんとしけるが悞りて面門とかけるか、ぼう書をつくるゆへに・かかるあやまりあるか、「大師智拳の印を結んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云、涅槃経の五に云く「迦葉仏に白して言さく世尊我今是の四種の人に依らず何を以ての故に瞿師羅経の中の如き仏瞿師羅が為に説きたまわく若し天魔梵破壊せんと欲するが為に変じて仏の像と為り三十二相・八十種好を具足し荘厳し円光一尋面部円満なること猶月の盛明なるが如く眉間の毫相白きこと珂雪に踰え乃至左の脇より水を出し右の脇より火を出す」等云云、又六の巻に云く「仏迦葉に告げたまわく我般涅槃して乃至後是の魔波旬漸く当に我が正法を沮壊す乃至化して阿羅漢の身及仏の色身と作り魔王此の有漏の形を以て無漏の身と作り我が正法を壊らん」等云云、弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云、而も仏身を現ず此れ涅槃


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