御書本文
宝如来は釈迦牟尼仏・御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪・法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず、其の二乗の機根叶はざりしかば瓔珞細輭の衣をぬぎすて麤弊垢膩の衣を著・波羅奈国・鹿野苑に趣いて十二年の間・生滅四諦の法門を説き給ひしに阿若倶鄰等の五人証果し八万の諸天は無生忍を得たり、次に欲色二界の中間・大宝坊の儀式・浄名の御室には三万二千の牀を立て般若・白鷺池の辺・十六会の儀式・染浄虚融の旨をのべ給いしにも来り給はず、法華経にも一の巻乃至四の巻・人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。
釈迦仏・先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず一年二年ならず四十余年の程まで虚言したりと仰せられしかば又此の経を実と説き給うも虚言にやあらんずらんと不審なししかば此の不審・釈迦仏一人しては舎利弗を始め事はれがたかりしに此の多宝仏・宝浄世界よりはるばると来らせ給いて法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり、又法華経より外の一切経を空に浮べて文文・句句・阿難尊者の如く覚り富楼那の弁舌の如くに説くとも其れを難事とせず、又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を他方世界へつぶてに・なぐる者ありとも難事には候はじ、仏の滅度の後・当世・末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん是を難しとすと説かせ給へり、五天竺・第一の大力なりし提婆達多も長三丈五尺・広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそひさげ候いしか其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に人ごとに此の経をよみ書き説き候、経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか能く能く御心得有るべき事なり、五の巻提婆品に云く「若し善男子善
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
---|---|---|---|
主師親御書 | 34 | 鎌倉 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
主師親御書 387ページ
宝如来は釈迦牟尼仏・御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪・法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず、其の二乗の機根叶はざりしかば瓔珞細輭の衣をぬぎすて麤弊垢膩の衣を著・波羅奈国・鹿野苑に趣いて十二年の間・生滅四諦の法門を説き給ひしに阿若倶鄰等の五人証果し八万の諸天は無生忍を得たり、次に欲色二界の中間・大宝坊の儀式・浄名の御室には三万二千の牀を立て般若・白鷺池の辺・十六会の儀式・染浄虚融の旨をのべ給いしにも来り給はず、法華経にも一の巻乃至四の巻・人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。
釈迦仏・先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず一年二年ならず四十余年の程まで虚言したりと仰せられしかば又此の経を実と説き給うも虚言にやあらんずらんと不審なししかば此の不審・釈迦仏一人しては舎利弗を始め事はれがたかりしに此の多宝仏・宝浄世界よりはるばると来らせ給いて法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり、又法華経より外の一切経を空に浮べて文文・句句・阿難尊者の如く覚り富楼那の弁舌の如くに説くとも其れを難事とせず、又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を他方世界へつぶてに・なぐる者ありとも難事には候はじ、仏の滅度の後・当世・末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん是を難しとすと説かせ給へり、五天竺・第一の大力なりし提婆達多も長三丈五尺・広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそひさげ候いしか其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に人ごとに此の経をよみ書き説き候、経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか能く能く御心得有るべき事なり、五の巻提婆品に云く「若し善男子善
- 自由語検索