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守護国家論
41ページ

る故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典無量千万億」なりと挙げ了つて「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め分身の諸仏は舌相を梵天に付け給う是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ、此の外・釈迦一仏の所説なれば先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり、故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず法華経は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり、但し邪見の文に至つては法華経を覚知せざる一類の人・涅槃経を聞いて悟を得る故に迦葉童子・自身並に所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云うなり経の勝劣を論ずるには非ず。
 第三に大小乗を定むることを明さば、問うて云く大小乗の差別如何、答えて云く常途の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり、或は六界を明すは小乗・十界を明すは大乗なり、其の外・法華経に対して実義を論ずる時・法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。
 問うて云く諸宗に亘て我所拠の経を実大乗と謂い余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習いなり末学に於ては是非定め難し、未だ聞知せず法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文如何、答えて云く宗宗の立義互に是非を論ず就中末法に於て世間出世に就て非を先とし是を後とす自ら是非を知らず愚者の歎くべき所なり、但し且く我等が智を以て四十余年の現文を観るに此の言を破する文無ければ人の是非を信用すべからざるなり、其の上・法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存すべきに非ず、法華経の方便品に云く「仏は自ら大乗に住し給えり、乃至・自ら無上道大乗平等の法を証しき若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕せん、此の事は為て不可なり」此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり、亦寿量品に云く「小法を楽う」と此等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説けるなり、天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず故に但経文を出すなり。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
守護国家論 38   鎌倉

日蓮大聖人御書

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る故に「今者已満足・今正是其時・然善男子我実成仏已来」等と説く、但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典無量千万億」なりと挙げ了つて「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め分身の諸仏は舌相を梵天に付け給う是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ、此の外・釈迦一仏の所説なれば先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり、故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず法華経は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり、但し邪見の文に至つては法華経を覚知せざる一類の人・涅槃経を聞いて悟を得る故に迦葉童子・自身並に所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云うなり経の勝劣を論ずるには非ず。
 第三に大小乗を定むることを明さば、問うて云く大小乗の差別如何、答えて云く常途の説の如くんば阿含部の諸経は小乗なり華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗なり、或は六界を明すは小乗・十界を明すは大乗なり、其の外・法華経に対して実義を論ずる時・法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして法華経は大乗なり。
 問うて云く諸宗に亘て我所拠の経を実大乗と謂い余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習いなり末学に於ては是非定め難し、未だ聞知せず法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文如何、答えて云く宗宗の立義互に是非を論ず就中末法に於て世間出世に就て非を先とし是を後とす自ら是非を知らず愚者の歎くべき所なり、但し且く我等が智を以て四十余年の現文を観るに此の言を破する文無ければ人の是非を信用すべからざるなり、其の上・法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存すべきに非ず、法華経の方便品に云く「仏は自ら大乗に住し給えり、乃至・自ら無上道大乗平等の法を証しき若し小乗を以て化すること乃至一人に於てせば我即ち慳貪に堕せん、此の事は為て不可なり」此の文の意は法華経より外の諸経を皆小乗と説けるなり、亦寿量品に云く「小法を楽う」と此等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説けるなり、天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず故に但経文を出すなり。


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