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守護国家論
43ページ

如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり、乃至・譬えば牧牛女の多く水を乳に加うるが如く諸の悪比丘も亦復是の如し雑るに世語を以てし錯りて是の経を定む多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず分流すべき所少く言うに足らず彼の牧牛の貧窮の女人展転して乳を売るに乃至糜と成して乳味無きが如し、是の大乗経典・大涅槃経も亦復是の如く展転薄淡にして気味有ること無し気味無しと雖も猶余経に勝る是れ一千倍なること彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝ると為すが如し何を以ての故に是の大乗経典・大涅槃経は声聞の経に於て最上首為り」是十。
 問うて云く不了義経を捨てて了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経是の如き諸大乗経は皆了義経なり依用と為す可きや、答えて云く了義・不了義は所対に随つて不同なり二乗菩薩等の所説の不了義に対すれば一代の仏説皆了義なり仏説に就て小乗経は不了義・大乗経は了義なり大乗に就て又四十余年の諸経は不了義経・法華・涅槃・大日経等は了義経なり而るに円覚・大仏頂等の諸経は小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり法華経の如き了義には非ざるなり。
 問うて云く華厳・法相・三論等の天台真言より已外の諸宗の高祖・各其の依憑の経経に依つて其の経経の深義を極めたりと欲えり是れ爾る可しや如何、答えて云く華厳宗の如きは華厳経に依つて諸経を判じて華厳経の方便と為すなり、法相宗の如きは阿含・般若等を卑しめ華厳・法華・涅槃を以て深密経に同じ同じく中道教と立つると雖も亦法華・涅槃は一類の一乗を説くが故に不了義経なり深密経には五性各別を論ずるが故に了義経と立つるなり、三論宗の如きは二蔵を立てて一代を摂し大乗に於て浅深を論ぜず而も般若経を以て依憑と為す、此等の諸宗の高祖・多分は四依の菩薩なるか定めて所存有らん是非に及ばず。
 然りと雖も自身の疑を晴らさんが為に且らく人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経経を開き見るに華厳経は旧訳

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
守護国家論 38   鎌倉

日蓮大聖人御書

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守護国家論 43ページ

如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり、乃至・譬えば牧牛女の多く水を乳に加うるが如く諸の悪比丘も亦復是の如し雑るに世語を以てし錯りて是の経を定む多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず分流すべき所少く言うに足らず彼の牧牛の貧窮の女人展転して乳を売るに乃至糜と成して乳味無きが如し、是の大乗経典・大涅槃経も亦復是の如く展転薄淡にして気味有ること無し気味無しと雖も猶余経に勝る是れ一千倍なること彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝ると為すが如し何を以ての故に是の大乗経典・大涅槃経は声聞の経に於て最上首為り」是十。
 問うて云く不了義経を捨てて了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経是の如き諸大乗経は皆了義経なり依用と為す可きや、答えて云く了義・不了義は所対に随つて不同なり二乗菩薩等の所説の不了義に対すれば一代の仏説皆了義なり仏説に就て小乗経は不了義・大乗経は了義なり大乗に就て又四十余年の諸経は不了義経・法華・涅槃・大日経等は了義経なり而るに円覚・大仏頂等の諸経は小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり法華経の如き了義には非ざるなり。
 問うて云く華厳・法相・三論等の天台真言より已外の諸宗の高祖・各其の依憑の経経に依つて其の経経の深義を極めたりと欲えり是れ爾る可しや如何、答えて云く華厳宗の如きは華厳経に依つて諸経を判じて華厳経の方便と為すなり、法相宗の如きは阿含・般若等を卑しめ華厳・法華・涅槃を以て深密経に同じ同じく中道教と立つると雖も亦法華・涅槃は一類の一乗を説くが故に不了義経なり深密経には五性各別を論ずるが故に了義経と立つるなり、三論宗の如きは二蔵を立てて一代を摂し大乗に於て浅深を論ぜず而も般若経を以て依憑と為す、此等の諸宗の高祖・多分は四依の菩薩なるか定めて所存有らん是非に及ばず。
 然りと雖も自身の疑を晴らさんが為に且らく人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経経を開き見るに華厳経は旧訳


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