御書本文
三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、譬えば農人の秋冬田を作るに種と地と人の功労とは違わざれども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随つて皆分分に益有るが如し、仏法も亦復是くの如し、時を知らずして法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するなり、仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きたまわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云云、仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し、正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし、末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し、又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。
四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国・一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り、又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り、而るに日本国は一向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く能く之を勘うべし。
五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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教機時国抄 | 41 | 伊東 |
日蓮大聖人御書
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教機時国抄 439ページ
三に時とは仏教を弘めん人は必ず時を知るべし、譬えば農人の秋冬田を作るに種と地と人の功労とは違わざれども一分も益無く還つて損す一段を作る者は少損なり、一町二町等の者は大損なり、春夏耕作すれば上中下に随つて皆分分に益有るが如し、仏法も亦復是くの如し、時を知らずして法を弘めば益無き上還つて悪道に堕するなり、仏出世したもうて必ず法華経を説かんと欲するに縦い機有れども時無きが故に四十余年には此の経を説きたまわず故に経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等と云云、仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し、正法には破戒・無戒を捨てて持戒の者を供養すべし像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし、末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし但し法華経を謗ぜん者をば正像末の三時に亘りて持戒の者をも無戒の者をも破戒の者をも共に供養すべからず、供養せば必ず国に三災七難起り供養せし者も必ず無間大城に堕すべきなり、法華経の行者の権経を謗ずるは主君・親・師の所従・子息・弟子等を罰するが如し、権経の行者の法華経を謗ずるは所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し、又当世は末法に入つて二百一十余年なり、権経・念仏等の時か法華経の時か能く能く時刻を勘うべきなり。
四に国とは仏教は必ず国に依つて之を弘むべし国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国・一向偸盗国・一向殺生国・一向不孝国等之有り、又一向小乗の国・一向大乗の国・大小兼学の国も之有り、而るに日本国は一向に小乗の国か一向に大乗の国か大小兼学の国なるか能く能く之を勘うべし。
五に教法流布の先後とは未だ仏法渡らざる国には未だ仏法を聴かざる者あり既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫を捨てて金珠を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ。
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