御書本文
中に堕つべし、邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼を・をかせるもの此の中に堕つべし、又比丘酒をもつて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕つべし、当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、大悲経の文に末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄に堕つべしと・とかれたるは・これていの事か、心あらん人人ははづべし・はづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに此の七大地獄をはなるべき人を見ず又きかず、涅槃経に云く末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如しと説かれたり、若爾らば我等が父母・兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ・あさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ずただ・をとにのみ・これをきく当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにも・きかず、而るに我が身よりはじめて一切衆生・七大地獄に堕つべしとをもえる者・一人もなし、設い言には堕つべきよしを・さえづれども心には堕つべしとも・をもわず、又僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地獄をもをぢず、或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず、而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なんどをあいし父母主君なんどを・うやまうには雲泥なり、仏・菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はまぬがれなん・なんど・をもえるは僻案にや心あらん人人はよく
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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顕謗法抄 | 41 | 伊東 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
顕謗法抄 446ページ
中に堕つべし、邪見とは有人の云く人飢えて死ぬれば天に生るべし等と云云、総じて因果をしらぬ者を邪見と申すなり世間の法には慈悲なき者を邪見の者という、当世の人人此の地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは焦熱の下にあり縦広前の如し、前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受るなり、其の寿命は半中劫なり、業因を云わば殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼を・をかせるもの此の中に堕つべし、又比丘酒をもつて不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし或は財物をあたへて犯せるもの此の中に堕つべし、当世の僧の中に多く此の重罪あるなり、大悲経の文に末代には士女は多くは天に生じ僧尼は多くは地獄に堕つべしと・とかれたるは・これていの事か、心あらん人人ははづべし・はづべし。
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもつて勘え当世日本国の四衆にあて見るに此の七大地獄をはなるべき人を見ず又きかず、涅槃経に云く末代に入りて人間に生ぜん者は爪上の土の如し三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如しと説かれたり、若爾らば我等が父母・兄弟等の死ぬる人は皆上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ・あさましともいうばかりなし、竜と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ずただ・をとにのみ・これをきく当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず又をとにも・きかず、而るに我が身よりはじめて一切衆生・七大地獄に堕つべしとをもえる者・一人もなし、設い言には堕つべきよしを・さえづれども心には堕つべしとも・をもわず、又僧・尼・士・女・地獄の業をば犯すとは・をもえども或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ或は阿弥陀仏等の仏を恃み或は種種の善根を修したる者もあり、皆をもはく我はかかる善根をもてれば・なんど・うちをもひて地獄をもをぢず、或は宗宗を習へる人人は各各の智分を・たのみて又地獄の因ををぢず、而るに仏菩薩を信じたるも愛子・夫婦なんどをあいし父母主君なんどを・うやまうには雲泥なり、仏・菩薩等をばかろくをもえるなり、されば当世の人人の仏・菩薩を恃ぬれば宗宗を学したれば地獄の苦はまぬがれなん・なんど・をもえるは僻案にや心あらん人人はよく
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