御書本文
の人師の中には天台智者大師・一人教をしれる人なり、曇鸞・道綽等の聖道・浄土・難行・易行・正行・雑行は源と十住毘婆沙論に依る彼本論に難行の内に法華・真言等を入ると謂は僻案なり、論主の心と論の始中終をしらざる失あり慈恩が深密経の三時に一代ををさめたる事、又本経の三時に一切経の摂らざる事をしらざる失あり、法蔵澄観等が五教に一代ををさむる中に法華経・華厳経を円教と立て又華厳経は法華経に勝れたりと・をもえるは所依の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさざるに記小久成ありと・をもひ華厳よりも超過の法華経を我経に劣ると謂うは僻見なり、三論の嘉祥の二蔵等・又法華経に・般若経すぐれたりとをもう事は僻案なり、善無畏等が大日経は法華経に勝れたりという法華経の心をしらざるのみならず大日経をもしらざる者なり。
問て云く此等皆謗法ならば悪道に堕ちたるか如何、答て云く謗法に上中下雑の謗法あり慈恩・嘉祥・澄観等が謗法は上中の謗法か其上自身も謗法としれるかの間悔還す筆これあるか、又他師をはするに二あり能破似破これなり教はまさりとしれども是非をあらはさんがために法をはすこれは似破なり、能破とは実にまされる経を劣とをもうてこれをはすこれは悪能破なり、又現に・をとれるをはす・これ善能破なり、但し脇尊者の金杖の譬は小乗経は多しといえども同じ苦空無常無我の理なり、諸人同く此の義を存じて十八部・二十部相ひ諍論あれども但門の諍にて理の諍にはあらず故に共に謗法とならず、外道が小乗経を破するは外道の理は常住なり小乗経の理は無常なり空なり故に外道が小乗経をはするは謗法となる、大乗経の理は中道なり小乗経は空なり小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず、諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記小久成これなし法華経の理は開会の理・記小久成これあり、諸大乗経の者が法華経をはするは謗法となるべし法華経の者の諸大乗経を謗ずるは謗法となるべからず、大日経・真言宗は未開会・記小久成なくば法華経已前なり開会・記小久成を許さば涅槃経とをなじ、但し善無畏三蔵・金剛智・不空・一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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顕謗法抄 | 41 | 伊東 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
顕謗法抄 458ページ
の人師の中には天台智者大師・一人教をしれる人なり、曇鸞・道綽等の聖道・浄土・難行・易行・正行・雑行は源と十住毘婆沙論に依る彼本論に難行の内に法華・真言等を入ると謂は僻案なり、論主の心と論の始中終をしらざる失あり慈恩が深密経の三時に一代ををさめたる事、又本経の三時に一切経の摂らざる事をしらざる失あり、法蔵澄観等が五教に一代ををさむる中に法華経・華厳経を円教と立て又華厳経は法華経に勝れたりと・をもえるは所依の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさざるに記小久成ありと・をもひ華厳よりも超過の法華経を我経に劣ると謂うは僻見なり、三論の嘉祥の二蔵等・又法華経に・般若経すぐれたりとをもう事は僻案なり、善無畏等が大日経は法華経に勝れたりという法華経の心をしらざるのみならず大日経をもしらざる者なり。
問て云く此等皆謗法ならば悪道に堕ちたるか如何、答て云く謗法に上中下雑の謗法あり慈恩・嘉祥・澄観等が謗法は上中の謗法か其上自身も謗法としれるかの間悔還す筆これあるか、又他師をはするに二あり能破似破これなり教はまさりとしれども是非をあらはさんがために法をはすこれは似破なり、能破とは実にまされる経を劣とをもうてこれをはすこれは悪能破なり、又現に・をとれるをはす・これ善能破なり、但し脇尊者の金杖の譬は小乗経は多しといえども同じ苦空無常無我の理なり、諸人同く此の義を存じて十八部・二十部相ひ諍論あれども但門の諍にて理の諍にはあらず故に共に謗法とならず、外道が小乗経を破するは外道の理は常住なり小乗経の理は無常なり空なり故に外道が小乗経をはするは謗法となる、大乗経の理は中道なり小乗経は空なり小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず、諸大乗経の中の理は未開会の理いまだ記小久成これなし法華経の理は開会の理・記小久成これあり、諸大乗経の者が法華経をはするは謗法となるべし法華経の者の諸大乗経を謗ずるは謗法となるべからず、大日経・真言宗は未開会・記小久成なくば法華経已前なり開会・記小久成を許さば涅槃経とをなじ、但し善無畏三蔵・金剛智・不空・一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台
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