御書本文

女人成仏抄
471ページ

のことを云うに一には三悪道に堕せず二には十方の仏前に生ぜん三には所生の処には常に此の経を聞かん四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり、然るに一切衆生は法性真如の都を迷い出でて妄想顚倒の里に入りしより已来身口意の三業になすところ善根は少く悪業は多し、されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云、我等衆生三界二十五有のちまたに輪回せし事・鳥の林に移るが如く死しては生じ生じては死し車の場に回るが如く始め終りもなく死し生ずる悪業深重の衆生なり、爰を以て心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云、法華経二の巻に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如く衆苦充満せり」云云、涅槃経二十二に云く「菩薩摩訶薩諸の衆生を観ずるに色香味触の因縁の為の故に昔無量無数劫より以来常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積る所の身の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母・兄弟・妻子・眷属の命終に涕泣して出す所の目涙は四大海の水より多し、地の草木を尽くして四寸の籌と為して以て父母を数うるに亦尽くすこと能わじ、無量劫より已来或は地獄・畜生・餓鬼に在つて受くる所の行苦称計す可からず亦一切衆生の骸骨をや」云云、是くの如くいたづらに命を捨るところの骸骨は毘富羅山よりも多し恩愛あはれみの涙は四大海の水よりも多けれども仏法の為には一骨をもなげず、一句一偈を聴聞して一滴の涙をも・おとさぬゆへに三界の籠樊を出でずして二十五有のちまたに流転する衆生にて候なり、然る間如何として三界を離るべきと申すに仏法修行の功力に依つて無明のやみはれて法性真如の覚を開くべく候、さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに但一乗妙法にて有るべく候、されば慧心僧都・七箇日・加茂に参籠して出離生死は何なる教にてか候べきと祈請申され候いしに明神御託宣に云く「釈迦の説教は一乗に留まり諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の得

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
女人成仏抄 44   鎌倉

日蓮大聖人御書

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女人成仏抄 471ページ

のことを云うに一には三悪道に堕せず二には十方の仏前に生ぜん三には所生の処には常に此の経を聞かん四には若し人天の中に生ぜば勝妙の楽を受けん五には若し仏前に在らば蓮華より化生せんとなり、然るに一切衆生は法性真如の都を迷い出でて妄想顚倒の里に入りしより已来身口意の三業になすところ善根は少く悪業は多し、されば経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云、我等衆生三界二十五有のちまたに輪回せし事・鳥の林に移るが如く死しては生じ生じては死し車の場に回るが如く始め終りもなく死し生ずる悪業深重の衆生なり、爰を以て心地観経に云く「有情輪回して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云云、法華経二の巻に云く「三界は安きこと無し猶火宅の如く衆苦充満せり」云云、涅槃経二十二に云く「菩薩摩訶薩諸の衆生を観ずるに色香味触の因縁の為の故に昔無量無数劫より以来常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積る所の身の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母・兄弟・妻子・眷属の命終に涕泣して出す所の目涙は四大海の水より多し、地の草木を尽くして四寸の籌と為して以て父母を数うるに亦尽くすこと能わじ、無量劫より已来或は地獄・畜生・餓鬼に在つて受くる所の行苦称計す可からず亦一切衆生の骸骨をや」云云、是くの如くいたづらに命を捨るところの骸骨は毘富羅山よりも多し恩愛あはれみの涙は四大海の水よりも多けれども仏法の為には一骨をもなげず、一句一偈を聴聞して一滴の涙をも・おとさぬゆへに三界の籠樊を出でずして二十五有のちまたに流転する衆生にて候なり、然る間如何として三界を離るべきと申すに仏法修行の功力に依つて無明のやみはれて法性真如の覚を開くべく候、さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに但一乗妙法にて有るべく候、されば慧心僧都・七箇日・加茂に参籠して出離生死は何なる教にてか候べきと祈請申され候いしに明神御託宣に云く「釈迦の説教は一乗に留まり諸仏の成道は妙法に在り菩薩の六度は蓮華に在り二乗の得


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