御書本文

聖愚問答抄下
499ページ

如し、天台は名詮自性・句詮差別とも名者大綱とも判ずる此の謂れなり、又名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり法華題名の功徳も亦以て此くの如し。
 愚人云く聖人の言の如くば実に首題の功莫大なり但し知ると知らざるとの不同あり、我は弓箭に携り兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや、聖人云く円頓の教理は初後全く不二にして初位に後位の徳あり一行・一切行にして功徳備わらざるは之れ無し若し汝が言の如くば功徳を知つて植えずんば上は等覚より下は名字に至るまで得益更にあるべからず、今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智・舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者・薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者・煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり、天台大師も法華経に付いて玄義・文句・止観の三十巻の釈を造り給う、妙楽大師は又釈籤・疏記・輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す、天台六十巻とは是なり、玄義には名体宗用教の五重玄

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
聖愚問答抄下 44   鎌倉

日蓮大聖人御書

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聖愚問答抄下 499ページ

如し、天台は名詮自性・句詮差別とも名者大綱とも判ずる此の謂れなり、又名は物をめす徳あり物は名に応ずる用あり法華題名の功徳も亦以て此くの如し。
 愚人云く聖人の言の如くば実に首題の功莫大なり但し知ると知らざるとの不同あり、我は弓箭に携り兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや、聖人云く円頓の教理は初後全く不二にして初位に後位の徳あり一行・一切行にして功徳備わらざるは之れ無し若し汝が言の如くば功徳を知つて植えずんば上は等覚より下は名字に至るまで得益更にあるべからず、今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智・舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者・薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者・煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり、天台大師も法華経に付いて玄義・文句・止観の三十巻の釈を造り給う、妙楽大師は又釈籤・疏記・輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す、天台六十巻とは是なり、玄義には名体宗用教の五重玄


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