御書本文

如説修行抄
502ページ

を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
 問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ、然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
如説修行抄 52 門下 佐渡

日蓮大聖人御書

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如説修行抄 502ページ

を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
 問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未熟なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解して言く法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ、然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして


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