御書本文

御義口伝巻上
711ページ

類いは阿闍世王なり其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて貪愛・無明の父母を害して教主釈尊の如く仏身を感得するなり、貪愛の母とは勧持品三類の中第一の俗衆なり無明の父とは第二第三の僧なり云云。
第四仏所護念の事 文句の三に云く仏所護念とは無量義処は是れ仏の証得し給う所是の故に如来の護念し給う所なり、下の文に仏自住大乗と云えり開示せんと欲すと雖も衆生の根鈍なれば久しく斯の要を黙して務て速かに説き給わず故に護念と云う記の三に云く昔未だ説かず故に之を名けて護と為す法に約し機に約して皆護念する故に乃至時機仍お未だ発せず隠して説かず故に護念と言う、乃至未説を以ての故に護し未暢を以ての故に念ず、久黙と言うは昔より今に至るなり斯要等の意之を思うて知る可し。
御義口伝に云く此の護念の体に於ては本迹二門首題の五字なり、此の護念に於て七種の護念之れ有り一には時に約し二には機に約し三には人に約し四には本迹に約し五には色心に約し六には法体に約し七には信心に約するなり云云、今日蓮等の類いは護念の体を弘むるなり、一に時に約するとは仏・法華経を四十余年の間未だ時至らざるが故に護念し給うなり、二に機に約するとは破法不信故墜於三悪道の故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり、三に人に約するとは舎利弗に対して説かんが為なり、四に本迹に約するとは護を以て本と為し念を以て迹と為す、五に色心に約するとは護を以て色と為し念を以て心と為す、六に法体に約するとは法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり、七に信心に約するとは信心を以て護念の本と為すなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら護念の体を開くなり、護とは仏見なり、念とは仏知なり此の知見の二字本迹両門なり仏知を妙と云うなり仏見を法と云うなり此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり因果の言語は経なり加之法華経の行者をば三世の諸仏護念し給うなり、普賢品に云く一者為諸仏護念と護念とは妙法蓮華経なり諸仏の法華経の行者を護念したもうは妙法蓮華経を護念したもうなり機法一同護念

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
御義口伝巻上     身延

日蓮大聖人御書

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御義口伝巻上 711ページ

類いは阿闍世王なり其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて貪愛・無明の父母を害して教主釈尊の如く仏身を感得するなり、貪愛の母とは勧持品三類の中第一の俗衆なり無明の父とは第二第三の僧なり云云。
第四仏所護念の事 文句の三に云く仏所護念とは無量義処は是れ仏の証得し給う所是の故に如来の護念し給う所なり、下の文に仏自住大乗と云えり開示せんと欲すと雖も衆生の根鈍なれば久しく斯の要を黙して務て速かに説き給わず故に護念と云う記の三に云く昔未だ説かず故に之を名けて護と為す法に約し機に約して皆護念する故に乃至時機仍お未だ発せず隠して説かず故に護念と言う、乃至未説を以ての故に護し未暢を以ての故に念ず、久黙と言うは昔より今に至るなり斯要等の意之を思うて知る可し。
御義口伝に云く此の護念の体に於ては本迹二門首題の五字なり、此の護念に於て七種の護念之れ有り一には時に約し二には機に約し三には人に約し四には本迹に約し五には色心に約し六には法体に約し七には信心に約するなり云云、今日蓮等の類いは護念の体を弘むるなり、一に時に約するとは仏・法華経を四十余年の間未だ時至らざるが故に護念し給うなり、二に機に約するとは破法不信故墜於三悪道の故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり、三に人に約するとは舎利弗に対して説かんが為なり、四に本迹に約するとは護を以て本と為し念を以て迹と為す、五に色心に約するとは護を以て色と為し念を以て心と為す、六に法体に約するとは法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり、七に信心に約するとは信心を以て護念の本と為すなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら護念の体を開くなり、護とは仏見なり、念とは仏知なり此の知見の二字本迹両門なり仏知を妙と云うなり仏見を法と云うなり此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり因果の言語は経なり加之法華経の行者をば三世の諸仏護念し給うなり、普賢品に云く一者為諸仏護念と護念とは妙法蓮華経なり諸仏の法華経の行者を護念したもうは妙法蓮華経を護念したもうなり機法一同護念


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