御書本文

御義口伝巻上
726ページ

修道を解と名くと云うと。
第二捨父逃逝の事 文句の六に云く、捨父逃逝とは大を退するを捨と為し無明自ら覆うを逃と曰い生死に趣向するを逝と為すと。
御義口伝に云く父に於て三之れ有り法華経・釈尊・日蓮是なり、法華経は一切衆生の父なり此の父に背く故に流転の凡夫となる、釈尊は一切衆生の父なり此の仏に背く故に備さに諸道を輪ぐるなり、今日蓮は日本国の一切衆生の父なり、章安大師の云く「彼が為に悪を除く即ち是れ彼が親なり」と、退大の大は南無妙法蓮華経なり無明とは疑惑謗法なり、自ら覆うとは法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘・謗法の失を恣ままに覆いかくすなり。
第三加復窮困の事 文句の六に云く、出要の術を得ざるを又窮と為し、八苦の火に焼かるるが故に困と為すと。
御義口伝に云く出要とは南無妙法蓮華経なり術とは信心なり、今日蓮等の類い窮困を免離する事は法華経を受持し奉るが故なり、又云く妙法に値い奉る時は八苦の煩悩の火自受用報身の智火と開覚するなり云云。
第四心懐悔恨の事 文句の六に云く悔を父に約し恨を子に約すと、記の六に云く父にも悔恨あり、子にも悔恨ありと。
御義口伝に云く日本国の一切衆生は子の如く日蓮は父の如し、法華不信の失に依つて無間大城に堕ちて返つて日蓮を恨みん、又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか、文句の六に云く「心懐悔恨とは昔勤に教詔せず訓うること無くして逃逝せしむることを致すことを悔い子の恩義を惟わずして我を疎んじ他に親しむるを恨む」と。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
御義口伝巻上     身延

日蓮大聖人御書

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御義口伝巻上 726ページ

修道を解と名くと云うと。
第二捨父逃逝の事 文句の六に云く、捨父逃逝とは大を退するを捨と為し無明自ら覆うを逃と曰い生死に趣向するを逝と為すと。
御義口伝に云く父に於て三之れ有り法華経・釈尊・日蓮是なり、法華経は一切衆生の父なり此の父に背く故に流転の凡夫となる、釈尊は一切衆生の父なり此の仏に背く故に備さに諸道を輪ぐるなり、今日蓮は日本国の一切衆生の父なり、章安大師の云く「彼が為に悪を除く即ち是れ彼が親なり」と、退大の大は南無妙法蓮華経なり無明とは疑惑謗法なり、自ら覆うとは法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘・謗法の失を恣ままに覆いかくすなり。
第三加復窮困の事 文句の六に云く、出要の術を得ざるを又窮と為し、八苦の火に焼かるるが故に困と為すと。
御義口伝に云く出要とは南無妙法蓮華経なり術とは信心なり、今日蓮等の類い窮困を免離する事は法華経を受持し奉るが故なり、又云く妙法に値い奉る時は八苦の煩悩の火自受用報身の智火と開覚するなり云云。
第四心懐悔恨の事 文句の六に云く悔を父に約し恨を子に約すと、記の六に云く父にも悔恨あり、子にも悔恨ありと。
御義口伝に云く日本国の一切衆生は子の如く日蓮は父の如し、法華不信の失に依つて無間大城に堕ちて返つて日蓮を恨みん、又日蓮も声も惜まず法華を捨つ可からずと云うべきものを霊山にて悔ること之れ有る可きか、文句の六に云く「心懐悔恨とは昔勤に教詔せず訓うること無くして逃逝せしむることを致すことを悔い子の恩義を惟わずして我を疎んじ他に親しむるを恨む」と。


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