御書本文
き」と、又云く「注家は但物として施を天地に答えず子として生を父母に謝せず感報斯に亡ずるを以てなり、と云えり」、輔正記の六に云く「物は施を天地に答えずとは謂く物は天地に由て生ずと雖も而も天地の沢を報ずと云わず子も亦之の如し」と、記の六に云く「況や復只だ我をして報亡せしむるに縁る斯の恩報じ叵きをや」と、輔正記に云く「只縁令我報亡とは意に云く只如来の声聞をして等しく亡報の理を得せしむるに縁るなり理は謂く一大涅槃なり」と。
御義口伝に云く此くの如く重重の所釈之れ有りと雖も所詮南無妙法蓮華経の下種なり下種の故に如影随形し給うなり、今日蓮も此くの如きなり妙法蓮華経を日本国の一切衆生等に与え授くる豈釈尊の十恩に非ずや、十恩は即ち衣座室の三軌なりとは第一第二第三は大慈為室の御恩なり第四第五第六第七は柔和忍辱衣の恩なり第八第九第十は諸法空為座の恩なり、第六の耻小慕大の恩を記の六に云く「故に頓の後に於て便ち小化を垂れ弾斥淘汰し槌砧鍛錬す」と。
薬草喩品五箇の大事
第一薬草喩品の事 記の七に云く無始の性徳は地の如く大乗の心を発するは種の如し二乗の心を発するは草木の芽茎の如し今初住に入るは同じく仏乗の芽茎等を成ずるが如しと。
御義口伝に云く法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり、薬とは九界の衆生の心法なり其の故は権教の心は毒草なり法華に値いぬれば三毒の煩悩の心地を三身果満の種なりと開覚するを薬とは云うなり、今日蓮等の類い妙法の薬を煩悩の草に受くるなり煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを喩とは云うなり、釈に云く「喩とは暁訓なり」と薬草喩とは我等行者の事なり。
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御義口伝巻上 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻上 728ページ
き」と、又云く「注家は但物として施を天地に答えず子として生を父母に謝せず感報斯に亡ずるを以てなり、と云えり」、輔正記の六に云く「物は施を天地に答えずとは謂く物は天地に由て生ずと雖も而も天地の沢を報ずと云わず子も亦之の如し」と、記の六に云く「況や復只だ我をして報亡せしむるに縁る斯の恩報じ叵きをや」と、輔正記に云く「只縁令我報亡とは意に云く只如来の声聞をして等しく亡報の理を得せしむるに縁るなり理は謂く一大涅槃なり」と。
御義口伝に云く此くの如く重重の所釈之れ有りと雖も所詮南無妙法蓮華経の下種なり下種の故に如影随形し給うなり、今日蓮も此くの如きなり妙法蓮華経を日本国の一切衆生等に与え授くる豈釈尊の十恩に非ずや、十恩は即ち衣座室の三軌なりとは第一第二第三は大慈為室の御恩なり第四第五第六第七は柔和忍辱衣の恩なり第八第九第十は諸法空為座の恩なり、第六の耻小慕大の恩を記の六に云く「故に頓の後に於て便ち小化を垂れ弾斥淘汰し槌砧鍛錬す」と。
薬草喩品五箇の大事
第一薬草喩品の事 記の七に云く無始の性徳は地の如く大乗の心を発するは種の如し二乗の心を発するは草木の芽茎の如し今初住に入るは同じく仏乗の芽茎等を成ずるが如しと。
御義口伝に云く法華の心を信ずるは種なり諸法実相の内証に入れば仏果を成ずるなり、薬とは九界の衆生の心法なり其の故は権教の心は毒草なり法華に値いぬれば三毒の煩悩の心地を三身果満の種なりと開覚するを薬とは云うなり、今日蓮等の類い妙法の薬を煩悩の草に受くるなり煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを喩とは云うなり、釈に云く「喩とは暁訓なり」と薬草喩とは我等行者の事なり。
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