御書本文

御義口伝巻上
730ページ

云うなり諸法実相と開くを破有法王とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは謗法の有執を断じて釈迦法王と成ると云う事なり、破有の二字を以て釈迦如来の種子とは云うなり、又云く有と云うは我等が煩悩生死なり此の煩悩生死を捨てて別に菩提涅槃有りと云うは権教権門の心なり、今経の心は煩悩生死を其の儘置いて菩提涅槃と開く所を破と云うなり、有とは煩悩・破とは南無妙法蓮華経なり有は所破なり破は能破なり能破・所破共に実相の一理なり、序品の時は尽諸有結と説き此の品には破有法王と説き譬喩品の時は皆是我有と宣べたり云云。
第五我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貪著・亦無限礙の事
御義口伝に云く此の六句の文は五識なり我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや爾らば無有彼此に非ずや愛憎之心に非ずや我無貪著に非ずや亦無限礙に非ずや。
 授記品四箇の大事
第一授記の事 文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。
御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
御義口伝巻上     身延

日蓮大聖人御書

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御義口伝巻上 730ページ

云うなり諸法実相と開くを破有法王とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは謗法の有執を断じて釈迦法王と成ると云う事なり、破有の二字を以て釈迦如来の種子とは云うなり、又云く有と云うは我等が煩悩生死なり此の煩悩生死を捨てて別に菩提涅槃有りと云うは権教権門の心なり、今経の心は煩悩生死を其の儘置いて菩提涅槃と開く所を破と云うなり、有とは煩悩・破とは南無妙法蓮華経なり有は所破なり破は能破なり能破・所破共に実相の一理なり、序品の時は尽諸有結と説き此の品には破有法王と説き譬喩品の時は皆是我有と宣べたり云云。
第五我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貪著・亦無限礙の事
御義口伝に云く此の六句の文は五識なり我観一切普皆平等とは九識なり無有彼此とは八識なり愛憎之心とは七識なり我無貪著とは六識なり亦無限礙とは五識なり我等衆生の観法の大体なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は豈我観一切普皆平等の九識の修行に非ずや爾らば無有彼此に非ずや愛憎之心に非ずや我無貪著に非ずや亦無限礙に非ずや。
 授記品四箇の大事
第一授記の事 文句の七に云く授とは是れ与の義なりと。
御義口伝に云く記とは南無妙法蓮華経なり授とは日本国の一切衆生なり不信の者には授けざるなり又之を受けざるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経の記を受くるなり、又云く授記とは法界の授記なり地獄の授記は悪因なれば悪業の授記を罪人に授くるなり余は之に准じて知る可きなり、生の記有れば必ず死す死の記あれば又生ず三世常恒の授記なり、所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の


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