御書本文

御義口伝巻下
756ページ

奉るは而謂不美の者に非ざるなり。
第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。
第十一自我得仏来の事
御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。
第十二為度衆生故方便現涅槃の事
 御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。
第十三常住此説法の事
御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり。
第十四時我及衆僧俱出霊鷲山の事

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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御義口伝巻下 756ページ

奉るは而謂不美の者に非ざるなり。
第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり。
第十一自我得仏来の事
御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸教に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり云云。
第十二為度衆生故方便現涅槃の事
 御義口伝に云く涅槃経は法華経より出でたりと云う経文なり、既に方便と説かれたり云云。
第十三常住此説法の事
御義口伝に云く常住とは法華経の行者の住処なり、此とは娑婆世界なり山谷曠野を指して此とは説き給う、説法とは一切衆生の語言の音声が本有の自受用智の説法なり、末法に入つて説法とは南無妙法蓮華経なり今日蓮等の類いの説法是なり。
第十四時我及衆僧俱出霊鷲山の事


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