御書本文

御義口伝巻下
782ページ

依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。
如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間・法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。
一義に云く如は実なり去は相なり実は心王相は心数なり、又諸法は去なり実相は如なり今経一部の始終諸法実相の四字に習うとは是なり、釈に云く「今経は何を以て体と為るや諸法実相を以て体と為す」と、今一重立ち入つて日蓮が修行に配当せば如とは如説修行の如なり・其の故は結要五字の付属を宣べ給う時・宝塔品に事起り声徹下方し近令有在・遠令有在と云うて有在の二字を以て本化・迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
御義口伝巻下     身延

日蓮大聖人御書

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御義口伝巻下 782ページ

依て如をば理空に相配するなり、釈に云く「如は不異に名く即ち空の義なり」と久遠は事なり其の故は本門寿量の心は事円の三千を以て正意と為すなり、去は久遠に当るなり去は開の義如は合の義なり開は分別の心なり合は無分別の意なり、此の開合を生仏に配当する時は合は仏界開は衆生なり、序品の始に如の字を顕したるは生仏不二の義なり、迹門は不二の分なり不変真如なる故なり、此の如是我聞の如をば不変真如の如と習うなり、空仮中の三諦には如は空是は中我聞は仮諦迹門は空を面と為す故に不二の上の而二なり、然る間而二の義を顕す時同聞衆を別に列ぬるなり、さて本門の終りの去は随縁真如にして而二の分なり仍つて去の字を置くなり、作礼而去の去は随縁真如と約束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。
如の字は一切法是心の義去の字は心是一切法の義なり、一切法是心は迹門の不変真如なり心是一切法は本門の随縁真如なり、然る間・法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり三諦三観の口決相承と意同じ云云。
一義に云く如は実なり去は相なり実は心王相は心数なり、又諸法は去なり実相は如なり今経一部の始終諸法実相の四字に習うとは是なり、釈に云く「今経は何を以て体と為るや諸法実相を以て体と為す」と、今一重立ち入つて日蓮が修行に配当せば如とは如説修行の如なり・其の故は結要五字の付属を宣べ給う時・宝塔品に事起り声徹下方し近令有在・遠令有在と云うて有在の二字を以て本化・迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に


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