御書本文

御義口伝巻下
785ページ

御義口伝に云く法華経八巻は処なり無量義経は無量義なり、無量義は三諦・三観・三身・三乗・三業なり法華経に於一仏乗・分別説三と説いて法華の為の序分と成るなり、爰を以て隔別の三諦は無得道・円融の三諦は得道と定むる故に四十余年未顕真実と破し給えり云云。
第六無量義処の事
御義口伝に云く無量義処とは一念三千なり、十界各各無量に義処たり、此の当体其の儘実相の一理より外は之れ無きを諸法実相と説かれたり、其の為の序なる故に一念三千の序として無量義処と云うなり、処は一念無量義は三千なり、我等衆生朝夕吐く所の言語も依正二法共に無量に義処りたり、此れを妙法蓮華経とは云うなり然る間法華の為の序分開経なり云云。
 普賢経五箇の大事
第一普賢経の事 題号に云く仏説観普賢菩薩行法経と云云。
御義口伝に云く此の法華経は十界互具・三千具足の法体なれば三千十界悉く普賢なり、法界一法として漏るる義之れ無し故に普賢なり、妙法の十界蓮華の十界なれば依正の二法悉く法華経なりと結し納めたる経なれば此の普賢経を結経とは云うなり、然らば十界を妙法蓮華経と結し合せたり云云。
第二不断煩悩不離五欲の事
御義口伝に云く此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり云云。
第三六念の事 念仏 念法 念僧 念戒 念施 念天

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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御義口伝巻下 785ページ

御義口伝に云く法華経八巻は処なり無量義経は無量義なり、無量義は三諦・三観・三身・三乗・三業なり法華経に於一仏乗・分別説三と説いて法華の為の序分と成るなり、爰を以て隔別の三諦は無得道・円融の三諦は得道と定むる故に四十余年未顕真実と破し給えり云云。
第六無量義処の事
御義口伝に云く無量義処とは一念三千なり、十界各各無量に義処たり、此の当体其の儘実相の一理より外は之れ無きを諸法実相と説かれたり、其の為の序なる故に一念三千の序として無量義処と云うなり、処は一念無量義は三千なり、我等衆生朝夕吐く所の言語も依正二法共に無量に義処りたり、此れを妙法蓮華経とは云うなり然る間法華の為の序分開経なり云云。
 普賢経五箇の大事
第一普賢経の事 題号に云く仏説観普賢菩薩行法経と云云。
御義口伝に云く此の法華経は十界互具・三千具足の法体なれば三千十界悉く普賢なり、法界一法として漏るる義之れ無し故に普賢なり、妙法の十界蓮華の十界なれば依正の二法悉く法華経なりと結し納めたる経なれば此の普賢経を結経とは云うなり、然らば十界を妙法蓮華経と結し合せたり云云。
第二不断煩悩不離五欲の事
御義口伝に云く此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり云云。
第三六念の事 念仏 念法 念僧 念戒 念施 念天


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