御書本文
一陀羅尼品
御義口伝に云く此の品は二聖・二天王・十羅刹女・陀羅尼を説きて持経者を擁護し給うなり、所謂妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言音声皆陀羅尼なり、されば伝教大師の云く「妙法の真言は他経に説かず普賢常護は他経に説かず」陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり、此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出すなり云云。
一厳王品
御義口伝に云く此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見を飜し正見に住して沙羅樹王仏と成るなり、沙羅樹王とは梵語なり此には熾盛光と云う、一切衆生は皆是れ熾盛光より出生したる一切衆生なり、此の故に十界衆生の父なり、法華の心にては自受用智なり忽然火起焚焼舎宅とは是なり、煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり邪見とは是なり、此の邪見を邪見即正と照したる南無妙法蓮華経の智慧なり所謂六凡は父なり四聖は子なり四聖は正見・六凡は邪見故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。
一勧発品
御義口伝に云く此の品は再演法華なり本迹二門の極理此の品に至極するなり、慈覚大師云く十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり、所詮此の品と序品とは生死の二法なり序品は我等衆生の生なり此の品は一切衆生の死なり生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり品品に於て初の題号は生の方終の方は死の方なり、此の法華経は生死生死と転りたり、生の故に始に如是我聞と置く如は生の義なり死の故に終りに作礼而去と結したり、去は死の義なり作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり、此の所作とは妙法蓮華経な
タイトル | 聖寿 | 対告衆 | 述作地 |
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御義口伝巻下 | 身延 |
日蓮大聖人御書
検索結果詳細 御書本文
御義口伝巻下 802ページ
一陀羅尼品
御義口伝に云く此の品は二聖・二天王・十羅刹女・陀羅尼を説きて持経者を擁護し給うなり、所謂妙法陀羅尼の真言なれば十界の語言音声皆陀羅尼なり、されば伝教大師の云く「妙法の真言は他経に説かず普賢常護は他経に説かず」陀羅尼とは南無妙法蓮華経の用なり、此の五字の中には妙の一字より陀羅尼を説き出すなり云云。
一厳王品
御義口伝に云く此の品は二子の教化に依つて父の妙荘厳王邪見を飜し正見に住して沙羅樹王仏と成るなり、沙羅樹王とは梵語なり此には熾盛光と云う、一切衆生は皆是れ熾盛光より出生したる一切衆生なり、此の故に十界衆生の父なり、法華の心にては自受用智なり忽然火起焚焼舎宅とは是なり、煩悩の一念の火起りて迷悟不二の舎宅を焼くなり邪見とは是なり、此の邪見を邪見即正と照したる南無妙法蓮華経の智慧なり所謂六凡は父なり四聖は子なり四聖は正見・六凡は邪見故に六道の衆生は皆是れ我が父母とは是なり云云。
一勧発品
御義口伝に云く此の品は再演法華なり本迹二門の極理此の品に至極するなり、慈覚大師云く十界の衆生は発心修行と釈し給うは此の品の事なり、所詮此の品と序品とは生死の二法なり序品は我等衆生の生なり此の品は一切衆生の死なり生死一念なるを妙法蓮華経と云うなり品品に於て初の題号は生の方終の方は死の方なり、此の法華経は生死生死と転りたり、生の故に始に如是我聞と置く如は生の義なり死の故に終りに作礼而去と結したり、去は死の義なり作礼の言は生死の間に成しと成す処の我等衆生の所作なり、此の所作とは妙法蓮華経な
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