御書本文

御講聞書
837ページ

能持即持仏身とまじないたるなり、釈に云く陀羅尼とは諸仏の密号と判ぜり、所詮法華折伏破権門理の義遮悪持善の義なり云云。
一六万八千人の事 仰に云く六とは六根なり、万とは六根に具わる処の煩悩なり八とは八苦の煩悩なり千とは八苦に具足する煩悩なり、是れ即ち法華経に値い奉りて六万八千の功徳の法門と顕るるなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る外に六万八千の功徳の法門之れ無きなり云云。
一妙荘厳王の事 仰に云く邪見即正の手本なり、所詮森羅三千の万法・妙を以て荘厳したる王なり妙とは称歎の語なり荘厳とは色法なり王とは心法なり諸法の色心を不思議とほめたり、然れば、妙荘厳王の言・三千の諸法・三諦法性の当位なり、所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経を以て色心を荘厳したり、此の荘厳とは別してかざり立てたるには非ず当位即妙の荘厳なり、煩悩即菩提・生死即涅槃是なり云云。
一華厳大日観経等の凡夫の得道の事 仰に云く彼等の衆皆各各其の経経の得道に似たれども真実には法華の得道なり、所謂三五下種の輩なり経に云く始見我身聞我所説文、妙楽大師云く脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐと云えり本種と云うは南無妙法蓮華経是なり云云。
一題目の五字を以て下種の証文と為す可き事 仰に云く経に云く教無量菩薩畢竟住一乗文、妙楽大師の云く余教を以て種と為さず文、無量の菩薩とは日本国の一切衆生を菩薩と開会して題目を教えたり、畢竟とは題目の五字に畢竟するなり住一乗とは乗此宝乗直至道場是なり文、下種とはたねを下すなり種子とは成仏の種の事なり、上の経文に教無量菩薩の教の一字は下種の証文なり教とは題目を授くる時の事なり、権教無得道・法華得道と教うるを下種とは云うなり、末法に入つて此の経文を出ださん人は有る可からざるなり慥に塔中相承の秘文なり下種の証文秘す可し云云。

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タイトル 聖寿 対告衆 述作地
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日蓮大聖人御書

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御講聞書 837ページ

能持即持仏身とまじないたるなり、釈に云く陀羅尼とは諸仏の密号と判ぜり、所詮法華折伏破権門理の義遮悪持善の義なり云云。
一六万八千人の事 仰に云く六とは六根なり、万とは六根に具わる処の煩悩なり八とは八苦の煩悩なり千とは八苦に具足する煩悩なり、是れ即ち法華経に値い奉りて六万八千の功徳の法門と顕るるなり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る外に六万八千の功徳の法門之れ無きなり云云。
一妙荘厳王の事 仰に云く邪見即正の手本なり、所詮森羅三千の万法・妙を以て荘厳したる王なり妙とは称歎の語なり荘厳とは色法なり王とは心法なり諸法の色心を不思議とほめたり、然れば、妙荘厳王の言・三千の諸法・三諦法性の当位なり、所詮日蓮等の類南無妙法蓮華経を以て色心を荘厳したり、此の荘厳とは別してかざり立てたるには非ず当位即妙の荘厳なり、煩悩即菩提・生死即涅槃是なり云云。
一華厳大日観経等の凡夫の得道の事 仰に云く彼等の衆皆各各其の経経の得道に似たれども真実には法華の得道なり、所謂三五下種の輩なり経に云く始見我身聞我所説文、妙楽大師云く脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐと云えり本種と云うは南無妙法蓮華経是なり云云。
一題目の五字を以て下種の証文と為す可き事 仰に云く経に云く教無量菩薩畢竟住一乗文、妙楽大師の云く余教を以て種と為さず文、無量の菩薩とは日本国の一切衆生を菩薩と開会して題目を教えたり、畢竟とは題目の五字に畢竟するなり住一乗とは乗此宝乗直至道場是なり文、下種とはたねを下すなり種子とは成仏の種の事なり、上の経文に教無量菩薩の教の一字は下種の証文なり教とは題目を授くる時の事なり、権教無得道・法華得道と教うるを下種とは云うなり、末法に入つて此の経文を出ださん人は有る可からざるなり慥に塔中相承の秘文なり下種の証文秘す可し云云。


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